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スズメチャンネル♪

スズメ・鳩・カラス等に関連した内容のブログのつもりで立ち上げましたが、あまりにも不人気なので、これからは内容はフリーにするつもりです。

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チャンネル20.

 今日は11時頃「おもいでの森」碑前に着いたが、見た目、あたりには鳩も雀も一羽もいなかった。それで試しにパンを一片石畳に投げかけてみたが、誰一羽として舞い降りて来るスズメはいなかった。ハトもである。これはおかしいと思って、道路の反対側の桃園を見ると、ちょうど誰かが餌蒔きを終えて帰る途中だった。彼は一瞬私を見止めて何か言いたそうな素振りをしたので、私は《パチプロのおっさん》ではないかと思ったが、自信はなかったので声はかけなかった。
 お客さんがゼロでは話にならないので、ちょうど曇っていたし、私は《水場》のセッティングは中止して、今日の餌蒔きは久方ぶりの桃園で行なうことにした。桃園にもスズメちゃんたちがいないとしたら、もうこの辺りにはスズメちゃんが不在だということになるから、餌播きの場所を大幅に変更~移動するしかないのであった。

 案の定スズメ様たちは皆ちゃっかりと桃園にいた。チュンチュン騒がしかったからすぐにわかった。オッチャンは「そっちにはスズメはおらへんで。みんなこっちに来てるで♪」と私に伝えたかったのではないだろうか。それにしてもスズメたちを根こそぎ呼び込んでしまうだけの力量は私には彼以外には考えられない。彼の主たる餌は「くず米と小鳥のエサ」のミックスである。私はそれを学んで今採用しているのだ。尤も彼はなぜか私には「あんたは食パンでいい。w」とも言ったのだった。

 コーナンの『小鳥のエサ』というのは主成分は『稗・ヒエ』と『粟・アワ』で、どちらも宮中の新嘗祭の行事には必須の食材である。両方とも昔(というか昭和以前)は人間の主食の一部だったし、今でも中国や北朝鮮では日常的に食べられているという。私は『五穀米の素』(←これを炊飯する直前の米に混ぜて炊けば簡単に『五穀米』が炊けるというセットである。)というのを買ってあるが、もちろんその中にはヒエ・アワがたくさん入っている。我々は普段「やれ全粒の真っ白い精米だ、無洗米だ」と大層有難がっているが、そんなものは栄養価の低い『残り滓』のようなもので、玄米やヒエ・アワの方がビタミン類も豊富で遥かに栄養価が高いと言う人もたくさんいるのだ。

cf.五穀
cf.五穀米の画像

 ともあれお客さんさえいれば、あとはやることはいつも同じである。私が餌を投げ彼らが追う。スズメもハトもカラスもである。雀ちゃんたちと私の息が合わないとすぐ鳩に取られてしまう。昨日カラスの中に2羽だけハシボソがいた。今日も1羽ハシボソがいた。おでこが出っ張っていないし、ホッピングをせず歩くのでわかる。ここいら付近のカラスの大半はハシブトだが、シェアというか棲み分けは一体どうなっているのだろうか。共生しているのだろうか。少なくともハシボソは駆逐されてはいないのだ。
 桃園のカラスは(以前私に毎日苛められた記憶がまだあるのか)森側と同一のカラスかも知れないがやや遠慮がちで、私の近くには全く寄って来ない。だから彼らに大きめのエサを投げ与えるのに私は苦労する。食パンの大玉を投げてもカラスにまでは届かず、突っ込んでいいものかどうか躊躇うカラスを尻目に、ハトたちが堂々と奪ってしまうことも何度かあった。笑。

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チャンネル19.

 本日もスズメちゃんたちは大勢来た。カラスも遠巻きにだが多数来た。彼らには行く途中で仕入れた7-11の「一口カステラ」(100円)というのを適宜与えた。これは私は1個だけ初めて食べたが香りも良くおいしかった。ただ玉出の「野菜カステラ」に比べて小粒で量も少なかったから、カラスには贅沢過ぎるのではないかと思ったりした。

 餌場では私の周りには不本意ながら鳩たちが蝟集する。私の主賓たる雀ちゃんたちは(鳩にどかされて)どうしても彼らの外回りになるか樹上である。その更に外側にはカラスが三々五々(という程多くはないが)待機するという構図である。
 カラスは「仕返しをする」というくらいだからプライドが高いのだろう。彼らにあげる餌は従って極力大きめの塊にする。そうしておけば、鳩や雀に向けた小粒の餌などを横取りすることもないだろうというのが私の読みである。この私の狙いが当たったのかどうか、カラスは鳩・雀におちょっかいは出さず、今日の餌蒔きもなんとか無事終了した。

 ところで童話《舌切り雀》ではお爺さんはスズメのお宿からの帰り際、「お土産あげるけど、大きい葛篭(つづら)と小さい葛篭のどっちがいい?」と問われて迷わず「小さい方がいい」と答えるのだが、私の経験では、サドルや荷台の黒板に大きいカステラと小さいカステラの両方を並べて置くと、スズメちゃんたちはみんな失敗した意地悪婆さんばりの強欲で、例外なく大きい方のカステラを選んで運び去るのであった。w

 足環の美人?鳩ちゃんは私に贔屓されているのがわかったのか、今日は初めて私が腰掛けている石材まで乗ってきた。やった。でも彼女?にあげたカステラ片は他の鳩に獲られてしまった。残念。

cf.鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律
 これがいわゆる「鳥獣保護法」で、我々は許可なく野生生物を捕獲したり殺傷したりすることは禁止されている。だが密猟者は後を絶たない。

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NPO法人ネットワーク地球村には以下のような記事がある。 ↓

5分でわかる食糧問題

飢餓の現状
飢餓が原因で1日に4~5万人(1年間に1500万人以上)の人が亡くなっており、そのうち7割以上が子どもたちです。

世界中には食べ物が足りないの?
「飢餓」になるのは、食糧が十分につくられていないからではありません。穀物は年間 23億トン生産されています。これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になります。

23億トン (年間穀物生産量) ÷ 70億人 (世界の人口)
⇒  328kg (1人当たり)
※1人当たり1年間の標準量は  180kg

それでも食べ物の不足している人がいるのは、どうしてでしょうか?

たくさんの穀物はどこへ
1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 33%も多く、ソマリアでは16%不足しています。
私たちのように食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。

穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。
牛肉1キロ作るために穀物8キロ、豚肉1キロ作るために穀物4キロ、鶏肉1キロ作るために穀物2キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。

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↓ 以下はFOOD FIRSTからの引用です。

世界飢餓にまつわる12の神話
<原文>
12 Myths About Hunger
Institute for Food and Development Policy Backgrounder Summer 1998, Vol.5, No. 3
http://www.foodfirst.org/pubs/backgrdrs/1998/s98v5n3.html

飢餓は神話ではなく現実だ。しかし神話が飢餓を温存させている。
今日少なくとも7億人が食糧不足に苦しみ、毎年1,200万人の子どもが死亡している。
なぜ、飢餓はなくならないのか? 私たちはどうすれば良いのだろうか?

この問いに答えるためには、まず今まで飢餓について教えられてきた固定概念を白紙に戻すことだ。根強くはびこる「神話」から自らを解放して初めて飢餓問題の本当の原因を理解することができる。そこから初めて飢餓問題の解決に取り組むことができるのだから。

神話その1
膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。
事実
インドでは、2億人の国民がお腹をすかせていたとき、6.25億ドル分の小麦・小麦粉と13億ドル分の米が輸出されていた(1995年)。
典型的な飢餓地域のバングラデシュでは、国民全員に2,000カロリーを供給して充分な量の米が生産されている。野菜・果物・豆類など他の食品を加えると、全国民を余裕を持って養うことができる量の食糧が生産されている。また肥沃な沖積土と水資源に恵まれたバングラデシュでは米だけで2倍も3倍も収穫量を増やす可能性があると推測されている。
ブラジルでは、7,000万人の国民が充分食べられなかったときに、130億ドル分の食糧が輸出された(1994年)。
アフリカでは、2億1,300万人が飢えるサハラ地方の国々が盛んに食糧を輸出している。1960年代末から70年代初頭に西アフリカ諸国が史上最悪の干ばつに襲われたときも、12.5億ドルもの食糧が輸出され続けた。1982~85年の干ばつのときもこれらの国からの食糧輸出は続いた。
先進国のアメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカの子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府と農家は過剰生産に頭を痛め、1995年にアメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外に輸送するのを援助している。

世界の食糧供給事情は「過剰」の一言につきる。今日の世界では小麦や米などの穀類だけで全人口に毎日3,500カロリーを提供できる量が生産されている。野菜や豆、ナッツ、根菜、果物、草食の家畜肉、魚など他の食品も加えると、一人当たりに毎日4.3ポンド(約1.95キログラム)の食べ物がある。穀物と豆とナッツが2.5ポンド(1,133グラム)、果物と野菜が1ポンド(453グラム)、肉と牛乳と卵も1ポンド(453グラム)ぐらい。毎日食べていると太ってしまうほどの量だ。問題は多くの人があまりにも貧しくて、食べ物が目の前にあるのに買うことができないこと。世界で一番「餓えた」国にも国民全員が満腹になるだけの食糧がある。それでも飢餓が続き、餓えた国々から食糧や他の農産物が輸出されている。

飢餓は現実に存在する。しかし、食糧は不足していない。
(Hunger is real; scarcity is not.)

神話その2
干ばつや凶作が飢饉を引き起こす。自然災害のせいだ。

事実
「この村でも大勢が餓死したわ。裕福な農民たちは米を買い占めて、貧しい小作人たちに見せないよう隠していた。洪水のためそれほどたくさんの食糧がなかったのかもしれないけれど、あの時、食べ物がみんなに分けられていたら飢えで死ぬ人は一人もいなかったと思うわ」1974年の大飢饉後にバングラデシュの小作人が語った言葉。

凶作の年はしばしば裕福な農民や商人が食糧を買い占め値段をつり上げる。目の前に食糧があっても、貧しい人たちは食べ物を買うお金がない。借金に追われる零細農民や小作人たちは最安値で収穫物を全部を買いたたかれ、土地も買いたたかれ、生活の糧そのものを失ってしまう。

1982年から85年に「干ばつに襲われ」多くの人々が餓死したとき、サヘル諸国の多くは農作物の輸出を増加させていた。干ばつの年1984年に記録的な量の綿花がこれらの国から輸出された。エチオピアでは長年の軍備強化と内戦が海外債務を増やし(政府は食糧生産より輸出作物に肥沃な農地と水資源を優先させ)、多くの若者が農地を耕す代わりに軍隊にとられ、ゲリラへの協力を疑われた住民が数十万人も自らの農地を離れ他所へ強制移住させられた。1980年代始めに干ばつを経験したサハラアフリカ地方の31諸国のうち、飢饉に襲われ人々が餓死したのはモザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアの5ヶ国のみだった。

だれが食糧購入の手段を持っているのか?お金がないかぎり、市場に食糧があっても貧しい人たちは食べ物を手に入れることができない。
だれが恒常的に生存境界線ぎりぎりに追いやられているのか? 凶作は普段から搾取され栄養が不足がちの貧しい人たちに死をもたらし、豊かな人たちに金儲けのチャンスをもたらす。
農業システムの崩壊が干ばつの被害を拡大している。古来人々は干ばつや洪水の年にも被害を最小限におさえるための技術と知恵を培ってきていた。しかしこれらの伝統的な技術と知恵はしばしば無視され「近代的」農業技術が自然災害へのもろさの度合いを増している。
だれが、だれに対して「食糧不足」を戦略的に使うのか? 食糧はしばしば戦争の武器として使われ、結果として餓死が作り出される。
気まぐれな自然現象に責任を押しつけるのは簡単だ。だけど人為的な要素が大勢の人をちょっとした天候の変化にも大被害を受けるようなもろい状況に押しやっている。どんな自然災害があっても、お金のある人には食べ物がある。危機の時に飢え死にするのは貧しい人たちだけだ。数百万人もの人たちがアジアやアフリカで生存ギリギリの境界線に陥れられている。金持ちに土地を取り上げられ、借金の罠にはめられ、働いても二束三文の賃金しかもらえないからだ。自然現象が人を餓死させるのではない。自然現象は崖っぷちに追いやられている人たちへの最後の一押しだけだ。人間が作った組織や政府が、どの人が食べてどの人が飢え死にするのかを決めている。アメリカで冬にホームレスの人たちが寒さで命を落とすからといって、自然現象の責任にする人はいないだろう。人間が作った社会や経済が真犯人なのだから。

神話その3
世界人口が多すぎる。だから人口抑圧政策を進めなくてはならない。

事実
国連は2050年に世界人口が93.7億に達し、その後は減少すると推測している。多くの専門家は、地球上にはこれだけの人口を養うだけに充分な資源があると推測している。

しかも世界中で人口増加率はすでに減速している。一人の女性が生む子供の数はヨーロッパや北アメリカ諸国で1955年にピークに達した後、急激に減少した。アジアやラテンアメリカ諸国では、1950年に6人だったのが、1995年には3人以下に減少している。アフリカ諸国では、60年代始めに6.75人でピークに達した後減少を続け、1995年には5.7人まで減った。世界人口の増加率は減速しており、増加が止まる日が来るのもそう先の話ではない。

人口密度が高い地域ほど飢餓が多いという比例関係は成立しない。韓国は国民一人当たりの農耕地面積がバングラデシュの半分以下しかないが、だからといって韓国の人たちが人口過密のために飢えているわけではない。中央アメリカでもコスタリカの国民一人当たり農耕地面積はホンジュラスの半分しかないが、栄養状態を計る指数の一つである平均寿命は11年も長い。

1994年にイエール大学が行った調査は、女性への教育普及が将来の出生率減少の最重要指数だと明らかにした。避妊などの教育ではなく、社会や家庭における女性の地位向上が子供の数を減らす大きな要因となっている。

貧しい家庭は、生活の糧を稼ぐ労働力が必要だから、乳幼児の死亡率が高いから、将来の保障が子供以外になにもないから数多くの子供を産む。問題の根元を解決しないまま避妊技術などだけで無理に出生率を下げようとすると、より大きな生存の危機に脅かされた人たちが取り残されてしまう。逆に、土地や仕事、食糧、教育、医療設備が整えば、生まれる子供たちの数は自然に減少する。

神話その4
飢える人たちのために食糧生産を増やすと環境を破壊してしまう。

真実
世界中で進む環境破壊が食糧生産のための資源を脅かしていることは確かだが、その逆は必ずしも真ではない。森林破壊の主な原因は大企業にあり、季節はずれやエキゾチックな野菜と果物、または熱帯の木材で先進国消費者を魅惑し、その需要を受けて企業や大地主が途上国で大儲けをしている。途上国で使用される農薬の大部分は輸出用作物を育てるために散布され、地元の貧しい人々の食糧生産に使われているのではない。先進国でも農薬は主に見かけの綺麗な作物に仕上げるために使われている。

森林破壊
アマゾン川流域の森林破壊の8割は企業や大農場経営者が輸出用の牧場や大豆畑のために切り開いたものと調査結果は示している。

インドネシアの森林火災を招いたのは誰か? アメリカのMother Jones誌は衛星写真により火災を引き起こした176箇所の材木やプランテーション企業の居留地を指摘した。カナダのGlobe and Mail誌によると「森や雑木林は伐採権に投資したりパーム油やゴムのプランテーションを開拓したい大企業に与えられた。森を切り開くために企業はブルドーザーを使うなど他の手段が困難な場合に限り『管理された火災』を引き起こすことを許可されていた。(インドネシア)政府は火災は最後の手段と言っていたが、実際は多くの企業が最初の手段として使っていた。一番コストがかからない手法だからである」

マレーシアの環境技術開発センターによると小さな農民が火を付けるのは1~2割でしかない。

農薬
アメリカで使用される農薬の約25%がゴルフ場や公園、芝生、庭、学校など農業以外の所で使われている。

農薬の販売が始まった40年代末から今日まで、農薬の量と毒性は10倍以上に膨れ上がったのに対し、害虫による農作物の損害は倍増している。

散布された農薬のうち、目的の害虫まで届くのは0.1%でしかない。残りの農薬は環境に入り込み、土・水・大気を汚染する。

一分間ごとに6人が農薬中毒にかかり、毎年22万人が農薬のため死亡していると推測されている。

伝統的な農法や有機農法など持続的な農業の方が貧しい人々に食糧を確保することで注目されている。実際、自然環境に適合した持続可能な農法の方が自然を破壊する近代大規模農業より生産的なことは数々の調査で実証されている。

神話その5
「緑の革命」が飢餓問題の解決策だ

事実
新しい種の開発で穀物の収穫は確かに増えた。しかし増加した食糧と富を手にしたのは経済力を持った少数という構造は変わらなかった。そのため「緑の革命」の成功例であるインドやメキシコ、フィリピンなどでは穀物生産量と穀物の輸出量は増加したけれど飢餓人口は減らず、むしろ貧しい人々が食べる食糧を栽培する農地が奪われてしまった。

農地が商品と同じように売買され少数による農地の集中所有が許される限り、収穫の増加は家族のための農地を略奪し、より多くの人々が生活の糧を失ってしまう。

弱い立場にある農民が農薬購入や作物売却のときに価格交渉する力がなければ、農業による収益がますます減ってしまう。

新しい技術が土壌の劣化と病害虫の被害を増加させると、食糧生産の資源そのものが脅かされ、収穫を確保することはますますコスト高になり困難になる。

現在、バイオ技術による「新しい緑の革命」が推奨されているが、これ以上貧富の差が拡大することを防ぐために、我々は断固として反対しなければならない。

神話その6
生産効率を上げるために農業の大規模化を進めるべきだ

事実
好条件の農耕地を占拠している大地主はしばしば農地の大部分を無駄に放置している。不公平な農地政策は、貴重な農地の大部分を最も不効率な生産者の手にゆだねている。逆に小さな農民たちは限られた土地を効率的に使い、複雑に組み合わされた持続的な総合農法により、エーカーあたり4~5倍の生産高を上げることができる。ただ農民による土地の所有や借地契約が確保されていなければ、第三世界の小作農たちは農地への投資をしようとはしない。農地の生産性を保つためには輪作をしたり休ませたりすることが大切とは知っていても、その土地が何時でも取り上げられる状態では土を肥やして生産性を上げる努力はできない。

土地の再分配が食糧生産を増大させた例は、日本やジンバブエ、台湾などで見られ、世界銀行はブラジル北東部で農地を小農民に分配すれば生産を8割増加することが出来ると推測している。

神話その7
自由市場が飢餓を終えることができる

事実

残念ながら「市場は善、国家は悪」という構図に凝り固まっている限り、飢餓問題の本当の原因を把握することはできない。そんな独断的な態度はまるで社会が市場か国家か二者択一できるかのような誤解を与えてしまう。実際、世界中の経済システムは多かれ少なかれ市場と政府の両方を組み合わせて資源配分と物資流通を行っている。市場のすばらしい効率性が飢餓削減のために機能するためには、すべての人が平等に食糧の購買力(お金)を持つことが絶対条件だ。

だから市場を尊重し飢餓問題を緩和したいと考えるならば、市場を強化するのではなく、貧しい人たちが市場から食べ物を買えるように消費者を強化するべきだ。富を分散して貧しい人たちに購買力を付けるためには、政府による税制改革や融資、農地改革などの政策が絶対的な役割を担う。近年の民営化や規制緩和が答ではない。

神話その8
自由貿易が解決策だ

事実
貿易振興による飢餓緩和の夢は惨敗した。第三世界のほとんどにおいて輸出が増加したとき、飢餓は減らず、むしろ悪化した。例えばブラジルが大豆の輸出を急激に伸ばし日本やヨーロッパに家畜飼料を供給していたとき、ブラジル国内の飢餓人口は3分の1から3分の2に増加した。多数の自国民が国内で生産した食糧を買うお金がないほど貧しい状況で、農業生産資源を握る裕福層は当然ながらもっと豊かな海外市場に向けて輸出作物の栽培に主力を注ぐようになる。輸出用作物の生産拡大により、住民の食糧生産は縮小される。NAFTAやGATT(現在ではWTO)などの貿易振興政策は、世界中で最低の賃金・最悪の労働条件・最低の環境基準の競争をしかけ、労働者たちに国境を越えた「奈落の底へのせめぎ合い」を強制する。メキシコとアメリカにその一例が見られるだろう。NAFTA以来アメリカでは25万人、メキシコでは200万人が職を失い、両国において飢餓人口は増え続けている。

神話その9
餓えた人たちは貧弱すぎて権利のために戦えない

事実

貧しい人たちは餓えて衰弱しているとのイメージが一人歩きして、私たちは明白な事実を忘れがちだ。略奪された人たちは生存のために全力を尽くさなければならない。もし貧しい人たちが本当に消極的だったら、ずっと以前に死に絶えてしまっていたに違いない。世界中でメキシコのチアパス州からインドの農民運動まで、不当に人々が虐げられている地域では現状を打開しようと人々が動き始めている。内外からの束縛さえなければ第三世界の農民たちは自らの食糧を生産することができる。私たちが「助けてあげる」必要はない。私たちの役目は、大企業や政府、世界銀行やIMFなどの重圧を人々から取り除くことだ。

神話その10
先進国からの援助を増やすべきだ

事実

アメリカや日本からの援助は大部分が飢餓を悪化させている。海外援助は現状を変えることなく、むしろ強化している。政府がエリート層しか相手にしていない状況で、援助は飢餓人口に届かないだけでなく、逆に彼らを貧困に追い込んでいる勢力を強化する。援助は自由貿易や自由市場政策を振興したり、食糧生産を犠牲にした輸出を促進したり、抑圧的な政府が政権に留まるための武器を購入したりするために使われる。緊急援助や人道的な援助でも(それらは全体の5%しかないけれど)、飢えた人たちに食糧が届かないままアメリカの穀物企業が儲けるだけで終わることが多い。しかも受入国の食糧生産を破壊してしまう危険性が強い。

海外援助より、その予算で第三世界の債務を無条件帳消しした方がよっぽど役に立つだろう。外国債務が第三世界の人々から基本的な福祉や教育や救済プログラムを奪っているのだから。

神話その11
彼らの貧困の恩恵を私たちは受けている(だからこの生活を維持するために彼らの貧困が必要だ)

事実

大多数のアメリカ人の安泰した生活を脅かしているのは、貧困層が豊かになることではなく、貧困層の略奪が続くことだ。国内外の低賃金によって先進国のバナナやシャツ、コンピュータ、ファーストフードなどの値段が安く押さえられているように見えるが、私たちは別のところで飢餓と貧困のために大きな出費を払わされている。第三世界で貧困が悪化すれば企業は安い労働力を求めて海外に向かうため、先進国の雇用や賃金レベルや労働条件が脅かされる。グローバル経済の中で、先進国の労働者が雇用と賃金レベルと労働条件を守るために闘ってきた成果は、世界中の労働者が経済的な絶望から解放されて初めて保護されるものだ。

先進国では福祉改革のような政策が必要以上の頭数の労働者を「雇用されている」状態に持ち込んだが、実際「福祉的な雇用」では最低賃金基準より低いレベルで労働が提供されるため、その上の雇用層における賃金を引き下げる圧力になっている。パート仕事やフルタイムでも低賃金の仕事しかないため、職に就いているのに貧しくて満足な食事や住居を手に入れられない人たちが増えている。豊かに暮らしている自分たちと国内外の貧しい人たちに共通する利益について理解すれば、第三世界の貧困問題に哀れみではなく同情心を持って取り組むことができる。貧困層を押さえつける経済的抑圧を取り除く努力をすることは、同時に私たちをも解放することなのだから。

神話その12
飢餓を終えるためには自由を制限することが必要だ

事実

「自由」が市民的自由を意味する限り、自由の獲得は理論的にも実際的にも飢餓の緩和と両立する。世の中を見渡しても飢餓と市民的自由の間にはなんの相互関係も見られない。ただし「自由」というのが富を生み出す財産を無制限に蓄積しその財産を好きなように使う自由という狭義の意味ならば、飢餓を終えることは妨害になる。

すべての国民に経済的な安泰をという国の基本的なビジョンに一致する定義の方が私たちの自由(リバティ)を保証する。このような自由の理解が飢餓を終えるために必要だ。

Institute for Food and Development Policy Backgrounder
Summer 1998, Vol.5, No. 3

★訳注 この文章はに掲載されている「12 Myths About Hunger」の訳に『World Hunger: 12 Myths, 2nd Edition』by Frances Moore Lappe, Joseph Collins and Peter Rosset, with Luis Esparza (fully revised and updated, Grove/Atlantic and Food First Books, Oct. 1998) からの要約を平賀緑が加筆して作成したものです。

同書の前版『世界飢餓の構造 いま世界に食糧が不足しているか』(フランセス・ムア・ラッペ、ジョセフ・コリンズ著 鶴見宗之介訳)は日本語訳が三一書房より1988年に出版されています。

Food First 日本語サイト文責 平賀緑
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チャンネル18.

*昨日久しぶりに休んだら一気に疲れが出たような気がして、今日は出発を大幅に遅らせ、NHK教育テレビの将棋対局を見てから出掛けた。「おもいでの森」に着いたのは2時半頃だったと思う。
 今日はおとついより雀さんたちの来客は多く、カラスも7~8羽くらい来た。彼らには「カニパン」(105円)というのを大きく千切って与えたので、雀や鳩向けの小粒の餌を強奪する素振りすら見せなかった。ただ、あまりに連続して与え過ぎて、そのまま居着かれても迷惑なので、それぞれに適当に与えた後は給餌を止めて「お引き取り」願うのである。今日もこの作戦は成功した。(私の印象ではカラスとムクドリはハトやスズメほど「もっと、もっと!」と餌の追加に拘泥することはない。淡白なのである。)
 雀さんたちは2百羽前後は来ていたように思う。鳩の中で私が注目しているのは例の足環の子で、私は目につくと彼(彼女?)の前にコメやらパンやらを投げている。彼だけを「えこ贔屓」しているのである。コメを投げると他の仲間が殺到して来るから彼(彼女)は揉みくちゃにされてしまうのであるが。あっそ。
 ハト類は子供に与える食餌が他の鳥と全く違うのだそうだ。彼らはオスもメスも、食堂の途中にある「そのう」というところで作られた「ピジョン・ミルク」を子供に与えているという。そう言えば、「口移し」なら私はカラスもムクドリも雀ちゃんも何度も見掛けているが、鳩の「口移し」はまだ見たことがないように思う。鳩同士が嘴を噛み合わせて争うような仕草なら何回か見たが、あれはまさか「口移し」ではないだろう。鳥たちは普通巣立つ際には体格だけは親と殆ど同じくらいにまで成長しているらしい。

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(人口)

 世界人口は既に70億人を突破しているらしい。 
 ここに日本の人口は現在1億2,700万人で、これは当分減る一方である。

(粟・アワ)
稗・ヒエ

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(カラス vs ハト&スズメ)

 この関係で言えば、鳩と雀はカラスによってただ一方的に食われるだけの関係である。鳩や雀がその代償に何かカラスから恩恵を被っているかと言えば、そんなことはまずあり得ないだろう。
 でも彼らにとって危険なカラスが来たからと言って、いつもいつも逃げ回ってばかりかと言えばそんなこともないのである。確かにカラスが「カァ!」と一声鳴いただけで付近のハトやスズメが殆どパニック状態で一斉に逃げまくることもあるが、逆に、近くにカラスが数羽来ても鳩や雀たちが平然と構えて一向に逃げ惑う素振りすら見せないことも少なくないのである。まるで彼らの間には「今は食わないぜ♪」とか「今は俺たちは大丈夫、安全だ♪」etc.とかの「鳥語」による(ボディトークも含めて)一種の「会話」が成立しているかの如くである。或る学者によれば「スズメ語」には30種の「鳴き分け」があるとのことだが、では一体、鳩やカラスはどういう「言語」を操っているのだろうか?!これは不思議だ。・・私には片や「クウクウ」片や「カアカア」鳴いているようにしか聞こえないのだが・・。

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チャンネル16.



(カラスチャンネルってか!?)

 今後どうなるかわからないが、私は今日餌蒔きの方針の大転換に踏み切った。なんとカラスまでをも「餌取りゲーム」の仲間に混ぜてやることに決めたのだ。あっちゃ。
 ハトを許し、ムクドリも許し、今度はカラスもである。
「世界は一家。生き物は皆兄弟♪」的精神である。ぁそ。

 カラスについて私にはもう一つ気になることがあった。それはカラスは頭が良く記憶力も良くて、「自分を苛めた人間には必ず?仕返しをする」ということである。私はこれまで毎日彼らを苛め、近寄れば追い払って来た。その意趣返しにハトやスズメが食べられたのではなんにもならない。

 カラスは好奇心が強く、ハトやスズメのしていることは自分もしてみたいのである。それで最近或るカラスは私の即席の「水場」にも来て数瞬水を飲んで行くようになった。
 
 私がまだ寝屋川べりだけで細々と給餌をしていた頃、一羽のカラスがやって来て、私が既に投げ込んでいたパン玉の前(←そこは私の位置からは一番遠い対角線上の場所だった)で、繁々とそれを見つめていた。当然ハトやスズメはカラスを恐れて逃げ去っていた。

「奴らはなぜこんなものに熱狂するんだろう!?」とでも言いたげに彼(彼女?)は小首を傾げて見続けた後、結局パンを食べる素振りも見せずその場を立ち去ったのである。それがカラスと私の最初の接触だった。次に石段までカラスが来たのは数日後だったと思うが、それからはカラスはスズメやハトを追い払った後、餌を横取りして行くのを常にしていた。(川沿いのフェンスまではカラスはよく来ていた。)

 たまに餌を横取りする程度なら私も(不愉快ながら)構わないのだが、もう何年も餌やりをやっているパチプロの?おっさんが言うことには、
「カラスは餌を取る振りをして鳩や雀を襲う」とのことなので、私は以後近づくカラスは能う限り追い払うことに決めたのであった。カラスはカラスで、私に嫌われていることは百も承知の上で、餌場を遠巻きにして待機し、隙あらば餌の横取りを狙い続けたわけである。

 最近はお見掛けしないが、桃園のベンチでスズメへの(?)餌やりを何年も続けていらっしゃる白髪・白髭の方がいる。ベンチは3人掛けだが、うち一つには水場を用意して、そこはスズメたちの遊び場になっている。私もO氏も今は水場用のトレイを用意するようになっているが、それはこの方の影響である。(但し私のトレイにはハトの来客の方が断然多く、スズメさんたちはハトがいないときにしか来られない。泣く。)
 それでご老人のベンチに鈴なりでやって来るスズメたちにあっては「手移しはあったりまい♪」で、ベンチの背凭れには水遊び出来ないスズメが大勢待機している。老人の足下にはハトたちが徘徊し、それを遠巻きにして、カラスたちが一列に並んで見守っているという、さながら「小さな桃源郷」のような世界を彼は見事に演出しているのであった。
 私は声をかけることは遠慮して遠くから写真を一枚撮らせてもらっただけだが、今度お会いすることがあったら是非いろいろお話を伺いたいものだと思っている。

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(今日の結果)

 私は今日は食パンの代わりに「野菜カステラ」(玉出スーパーで1袋百円)を持って行った。それを最初は一個ずつ来訪するカラスに投げ与えたのである。途中から「1個では大き過ぎるかな?]と思い直して、半分とか1/3とかに千切って投げた。カラスは総勢で6~7羽くらいは来たろうか、誰一羽として長居することなく、何度も執拗に餌を求めることなどせず、適宜引き上げて行った。私の遠い正面の樹幹で待機する子ガラスに口移しをする親ガラスもいたのでカメラを向けたが逃げ去ってしまった。カラスに限らず、彼らは総じてカメラを嫌がる。逃げ出さないまでも「是非撮ってくれ♪」と身を乗り出すような鳥はまずいない。彼らにはレンズが大きな「眼」のように見えるのだそうだ。

 私のこの「豹変ぶり」にはカラスの側にも当然戸惑いがあって、私が投げるカステラに驚いて飛び退いてしまうカラスも最初はいたが、彼らは最早ハトやスズメへの餌遣りを妨害することもなく(逆に私がカラスに投げたやや小さめのカステラをスズメが横取りしてしまうことも一度あった。w)「カラスも混ぜてやる♪」という私の試みは、少なくとも今日一日だけは無事に済んだのだと思う。

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チャンネル15.




(カラス牧場)

 いつもの場所だが、最近三日間は参集するスズメの数が減っているように私は感じる。いつもは概算で2~300羽は来ていたスズメの数が半減しているような印象である。
 
①「処暑」を過ぎて、若い鳥たちが本にあるような「集団移住」を始めたのかどうか。
②いやいつもの場所でまた何か「惨劇」があったため鳩や雀の集まり具合が悪くなったのか。
③それとも私が現場に到着する前に誰かが「餌蒔き」をしているため彼らが満腹しているから来ないのか・・私には原因不明の事態である。

 三日前私が現場に着くと、いつもは石畳の上でのんびり寝そべっている鳩たちが一羽もいなかった。それに加えて、いつもトレイを並べて臨時の「水場」に仕立てている岩場に、スズメのものと思われる小羽根が5~6枚散乱していたのである。そんなことは初めてのことだったので、私は「また誰かがカラスの犠牲になったのではないか!?」との疑念を強く感じた。

 今日は「水場」を設置した直後、一羽のカラスが堂々と水を飲みに来て一見鳩のようにドクドク(?)呑んだ。驚いた私は写真を撮るのも忘れてすぐに追い払った。が、少し遠のくだけでなかなか遠くには逃げ去らなかった。暫くしてまた一羽のカラスが水場で水を飲んだ。情勢は着実に変化し始めたようである。

 大阪城公園内のどの場所でもそうだと思うが、人間が辺りにいないときは押しなべて「カラスの天下」そのものである。公園の管理者・清掃人たちは人間の残したタバコの吸い殻やゴミ類、或いは鳩などが食われた後の残滓を片付けるだけで、カラス全体を管理出来ているとは到底思われない。カラスも自転車が通ろうがランナーが近くを走ろうが全く「平気の平左」で逃げたりなどしないのである。東京の明治神宮だってカラスを管理することなど出来ていない筈である。日々人間の出す「生ゴミ」にネットをかけることぐらいしか出来ていないのではないか。

 私たち任意の「餌やり隊」にしても、来たいときに来て遣りたい鳥に餌を与えて帰るだけの話であって、まして彼ら鳥類全体を管理するなど及びもつかないことである。思うのは私たち餌蒔き隊は「カラス牧場」の牧童に過ぎず、オーナーはそこを縄張りとしているカラスたちであり、彼らは「食資源」が枯渇しない限りに於いて、鳩や雀を任意に捕食しているのではないかということである。
 餌を遣る人の中にもタバコのフィルターを20本近くもその場に捨てて行く人がいる。タバコのフィルターも釣り糸も自然界には存在しないもので溶け去って土に還元されることはない。

 私が「鳩や雀がカラスによって食い殺される現場を見たくない!」というだけの理由から「少なくとも餌蒔きの最中だけはカラスを追い払っている」などというのも「私の勝手」であって、カラスたちは「鳩や雀を捕食することは悪いことだ」などとは露ほども思っていないだろう。彼らは「自然の摂理」のままに生きているだけなのである。いいも悪いもない。
 カラスに食べられるだけの側の鳩たちも、先日は仲間がまさに今食べられているすぐそばで「何事もなかったかのように(!)」いつもの如く私が蒔く餌を追っていたのだった。
 私も、カラスたちをも「餌採りゲーム」に参加させるべきだろうか否か、今迷い始めたところである。

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 以下は東京都環境局による「カラス対策」からの抜粋です:

Q1. カラスに威嚇されたり、襲われたりして困っています。

A1. カラスは繁殖期(およそ3月下旬〜7月上旬)になると、巣をつくり、卵を産んでヒナを育てます。このため、この時期に巣や、巣から落ちたヒナの近くを人が通るときに、カラスはヒナを守るため、人を威嚇したり攻撃することがあります。

カラスは後ろから人の頭をめがけて飛んできます。これを防ぐためには、傘などの棒状の物を肩にかつぐようにして、頭の上に上げるとよいでしょう。カラスは羽根が接触するのを恐れて近寄りません。また、頭を保護するために帽子をかぶるのも有効です。

カラスの攻撃を避けるためには、巣やヒナに近づかないことが一番ですが、被害を解消するためには、カラスの巣を撤去したり、落ちているヒナを回収する必要があります。

★カラスによって次のような被害が発生しています!
■繁殖期に、巣の近くを通行する人がカラスに威嚇、攻撃される。
■早朝、夜間もカラスがけたたましいる鳴き声をあげ、安眠が妨害される。
■子犬、子猫などのペットが襲われる。
■公園などで、人が持っている食べ物を横取りしようとしたり、スーパーの買い物袋をもって歩いていると、袋をつつかれたりする。
■ツバメやスズメなどの小鳥、セミなどの虫が過剰に食べられてしまう。
■本来カラスの天敵であるタカなどの猛禽類やフクロウなどを逆に集団で襲う。

※このため、東京都では平成13年度末から都市部を中心としたカラス対策に取り組んでいます。この取り組みにより、対策開始前に都内に36,400羽いたカラスが、平成16年には19,800羽にまで減少しています。今後もゴミ対策の強化やカラストラップによる捕獲を行うなどの対策を実施し、カラスによる被害の減少に努めます。
[カラス対策プロジェクト]

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チャンネル13.



今日はカラスについての考察を細川博昭著『身近な鳥のふしぎ』(サイエンス・アイ新書)から引用させて戴く。ちょっと長いけど・・。

 第一章 身近な鳥 p56.

~ハシブトガラス~ L57cm 知性がもたらす高い生活力

 カラスが好きだ。巣がある樹の近くで襲われかけたこともあるが、そうしたカラスの行動に怒りや困惑を感じたことはない。それは、生物として、ごく自然な警戒行動だと思うからだ。もちろん、彼らの姿に不吉さなどを感じたこともない。
 大きな都市の中心部に多く棲み、「カア-カア-」と澄んだ声で鳴いているのがハシブトガラス。歩くとき両足を揃えるようにしてピョンピョン歩く(ホッピングする)のも彼らの特徴の1つだ。その黒い羽毛は、光線の加減で群青から深緑の光沢を見せる。
日本国内に暮らす鳥のなかでもっとも脳が発達しているのはハシブトガラスである。カラスが知的であることは古代からよく知られていて、日本神話のなかにも天上(高天原)の神の使いとしてヤタガラスが登場したりする。なお、ヤタガラスが3本足というのは完全な誤解で、『古事記』などにそういった記述はない。3本足のカラスの原点は中国の神話で、太陽の中に棲む聖なる鳥(=カラス)が3本足だったことに由来している。
 カラスはのちのために余った食料を隠しておく「貯食」という行動をする。当然、記憶力はよく、嫌なことをされた人間のことも忘れない。あとで見つけて、「しかえし」をしたりする。こうした行動も、発達した脳のなせるわざである。
 ハシブトガラスは、もともとは熱帯から亜熱帯のアジアのジャングルに暮らす鳥だった。それが日本では、すっかり都市の鳥として定着した。都市には餌が豊富で、競合する強い相手がいなかったことが大きい。日本にいる亜種は4種で、対馬、琉球諸島、八重山諸島にそれぞれ、チョウセンハシブトガラス、リュウキュウハシブトガラス、オサハシブトガラスが分布する。

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p58~ L50cm 自動車にクルミを割らせることでも有名

~ハシボソガラス~

 ハシボソガラスは昔から、人間のそばに暮らすことで食料を得てきた。完全な雑食で、生き物の肉も食べれば、木の実も食べる。人間が捨てた食材も、もちろん彼らにはごちそうだ。「ゴンベがタネまきゃ、カラスがほじくる」という歌もあるが、ここで登場するカラスもハシボソガラスである。彼らはハシブトガラスのようにホッピングをせず、左右の足を交互にだして歩きながら、植物のタネや新芽をついばむ。ハシボソ、ハシブトともに雑食だが、ハシボソのほうが植物系の食材を多く食べているようだ。
 仙台地方では自動車にオニグルミを轢かせて割って食べることが知られているほか、北海道から東北の沿岸に暮らすハシボソガラスには、海で採った貝類を岩やコンクリートの上に落とし、割って食べるようすも観察されている。脳の大きさではハシブトガラスが勝っているが、行動が見える知性という点では、ハシボソガラスのほうに軍配が上がるようだ。 ハシボソガラスとハシブトガラスが違う鳥として認識されたのは江戸時代のこと。それ以前は、どちらもただのカラスだった。両カラスはクチバシの太さと前頭部の盛り上がりの有無で区別がつくが、慣れないと違いがよくわからない。むしろ、鳴き声と鳴いているときのポーズのほうが見分けやすいかもしれない。
 体を揺らさず、どちらかといえば澄んだ声で鳴くのがハシブトガラス、どちらかといえば濁った声で鳴くのがハシボソガラスだ。地上を歩く姿が確認できたなら、ホッピングの有無などでも確認することができる。ちなみにハシブト、ハシボソともに雌雄同色。ともに光沢のある漆黒で、人間の目にはオス・メスの違いがまったくわからない。

(生活)

 かつてはもっとも人間の生活に近いカラスだったが、日本では大都市圏を中心にその座をハシブトガラスに奪われ、近隣の林などで暮らす個体が増えている。残飯(生ゴミ)への依存度はハシブトより低い。

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『スズメの少子化、カラスのいじめ』(安西英明著)から~

*カラスの体重は600~800gでうち脳重は10gあり、これは鳩の4倍に当たる。

(脳の神経細胞数)は推定:

ハシブト=約2億3千万個
カ   モ=6千数百万個
スズメ =2千万個 とされている。

*鳩とキンカチョウは哺乳類のように下を向いたままゴクゴクと水を飲める。(←ハトについては私もその豪快な飲みっぷりを毎日目撃している。)カラスは一旦顔を横向きにして水面から水を口内に入れ、それから顔を上向きにして水を喉に通す。
*鳥は原則として葉っぱは食べない。葉の繊維質は哺乳類でも消化出来ない。哺乳類が葉を食べられるのは長い腸内に住む細菌群のお陰である。

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チャンネル12.

(お出迎えとお見送り)

 桃園で播いていた頃は必ず『お出迎え』と『お見送り』があった。私が現場に到着するや否や、つつつッと何羽もすり寄って来るのが私の言う『お出迎え』である。チュンチュン甘えるような可愛らしい声で鳴くのは餌が欲しいときそのもので、真正面から素直に寄って来るのである。今はこの『お出迎え』はない。皆無である。だが私が現場で鳩たちしかいない地面にパン玉一つを投げ入れると、途端に10羽以上のスズメたちが舞い降りて来る。彼らは彼ら独自の伝令・斥候その他通信網を使って、私の自転車が現場に近づきつつある段階から『あ、あのオヤジが来たぞ!』と既にみんなで連絡し合って『樹上待機』しているのではないかと私は疑っている。

 餌遣り半ばで路上に待機する彼らは私の方を正面から見据えてなどいない。むしろ完璧に『揃って横向き』の体勢をとることが多い。(地面に降りないで樹上や石材の上に待機しているものたちは普通に私の方を注視している。)それでも私が餌を播く『手の動き』はしっかり捉えていて即座に反応するのだから、彼らは左右両方の目が別々の方向を見ているのではないかと考えてしまう。

 『お見送り』も最近は殆どない。桃園では私が投げる食糧を全部投げ終わって帰り支度も済ませている段階になって、ハンドルやらサドルやらに止まって『お見送り』(←実は「もっと餌が欲しい♪」ということだろうが、ないものはあげられないのである。私は自分の昼食用のおにぎりまで投げてしまっているのだ!)
 この「お見送り」を振り払って帰路に就くのは我ながら切ない気持ちになるのだった。今日O氏も同じことを言っていた。w

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チャンネル11.


 昨日11時頃いつもの餌場に着くと、通路側の端の方でカラスが鳩を食べていた。既に頭部はなかった。今日のトップの写真が首までを既に食べられてしまった鳩である。食べていたカラスは私が近づくとその場を離れ、私が餌撒きの定位置に戻るとまた鳩のところへ来て食べ始めた。私がカメラを向けると離れ、暫くするとまた舞い戻って食べ始めた。食べている途中から再度その場を離れるまでを私は録画した。彼(彼女?)は結局足や尾羽を残して鳩のほぼ全体を食べ尽くし、そこへ場内清掃のトラックがタイミング良くやって来て残滓を片付けた。私は心穏やかではなかったがこの事件に対しては「食うて極楽食われて往生」という真宗的スタンスで応じることしか出来なかった。



 カラスは普通人間のいる前では鳩であれ雀であれ、捕食することはない。そこは『おもいでの森』という石碑が立っている場所で、大阪城桃園と通路を挟んだ向かい側である。普段は鳩たちがのんびり寝そべって寛いでいる場所なのだ。少し噴水方面に戻った売店横にも鳩たちがたむろしている場所があるが、あそこなら人の出入りが激しいので日中カラスに襲われることはないと思う。

 私は6月一杯くらいまでは桃園で餌蒔きしていた。でもあそこは日陰になる場所がないので石碑のあるところに場所を変えたのである。どちらも鳩やスズメの多く集まる場所である。桃園にはカラスも一時10羽以上の集団で来ていた。商売の余り物(豚肉や牛肉の脂身らしい)をカラスに与える人がいたからである。カラスは脂身は大好きなのでみんな彼女が来ると嬉々としてその後を追っていたという。

 あったりまいだが、カラスにだって生きる権利はある。彼らもまた我々同様『宇宙船地球号』の乗組員であり、他の生命を食べなければ生きていけない生命である。生きるためには人間の出す残飯・生ごみでも死肉でも生きた鳩でも何でも食べる。(昨日読んだブログにはスズメも生ごみを食べると書かれていた。) 
 カラスが残酷だ、ワニ、蛇、ライオン・・が残酷だと言って、一番残酷なのは我々人間だろう。ライオンの肉のステーキは食べる、ラクダの蒸し焼きは食べる、鯛の生き造りは食べる、白魚の踊り食いは食べる・・で、それこそ何だって食べるのが我々だ。

 Kさんと鳩同士・雀同士の喧嘩の話をしていたら彼は「でも殺し合いまではせん」と結んだ。「殺し合いまで行くのは人間くらいなものでしょう?」と私が受けると、「いや、文鳥はどちらかが死ぬまで闘う」と答えた。いずれにせよ、戦いの原因は①食糧②テリトリー③配偶者のいずれかを巡ってのことになるだろう。我々人間だって似たようなものかも知れない。

(餌や水=水利権を巡っては、鳩も雀も、ときとして両方の羽を大きく開いて自らの所有権・領有権を主張することがある。私の荷台のボード上では後から来た雀を追い払う行動が何度も見られた。追い払われた側は遠回りし知らん顔でボードに着地することもあった。手乗り・手移しをするKさんの場合、『小鳥のエサ』は掌の中央にまとめて給餌するだけなので、その際いつも決まった個体によって『追い払い行動』が行われるという。)

 (餌の推移)

 私は最初はパン系専門だった。食パンを現場で千切っては投げ、千切っては投げを繰り返していた。これが3時間近くも続くと相当体力を消耗した。カステラ、どら焼きも加えたが食パン中心だった。それが崩れて、知り合った人たちから次々にアドバイスを戴き、コメ、小鳥のエサ、シフォンケーキ、蒸しパンなどが給餌に加わった。みなそれぞれ一理あるアドバイスだったので、私は一回は従った方がいいと判断したのである。
 コメも最初はもち米を使い、次に「秋田小町」配合の複合米にした。(←こちらはまだ少し残っている。)これらはキロ400円以下であるから、人間が食べる米としては一番安い部類である。そしてキロ百円の屑米に移った。キロ50円の屑米も3kg買ってあるがまだ封は破っていない。屑米には五分五分くらいの割合で『小鳥のエサ』(コーナン)を配合した。

 最近取り入れたのが山崎製パンの『やわらか卵のシフォンケーキ』という優れもので、私が食べてもおいしいし(はあ?)安くて量が多いのでいい。雀たちもパンとは違った熱狂ぶりでこの餌を受ける。一つの塊に40~50羽も群がることがあるが、私がいくら頑張っても彼ら全体にそのケーキを行き渡らせることは不可能である。山崎製パンには他にも蒸しパンとかチーズケーキとか「柔らか」系のものが多いがどれも雀さんたちには好評である。このシフォンケーキを教えてくれたのはOさんで、彼は手移しで給餌するために「柔らか」系をいろいろ試して来たわけだが、私は「手乗り」は不得手なので、パン同様千切っては放り投げているだけである。ぁそ。

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チャンネル9.

O氏の友人から又聞きで紹介されたのだが『雀プロジェクト』というサイトがあるので行ってみたが、新着記事が去年の11月・12月なのでまだ読んでいない。あっそ。当時は雀の減少についてNHK・みのもんたの朝ズバッ!などで取り上げられていたようだ。
 繰り返しになるが前々回の引用記事によれば、年間100万羽~130万羽の雀の捕獲が許可されているということであるから、雀の減少を惹き起こしている最大の元凶は我が人間ではないかと私は思う。海産物の漁獲量にしても新潟県のトキにしてもそうだが、我々は『絶滅』が危惧される段階に至らないと乱獲を止めないし保護を開始しないのである。

 Kさんの話では今年五月の『愛鳥週間』(5/10~5/16)には連日(かどうか?)50人以上の人たちが大阪城天守閣周辺に集まって野鳥観察・写真撮影等を繰り広げていたらしい。団体名は不明ながら、そんなに動員出来るとしたら『日本野鳥の会(大阪支部?)』とその関連団体くらいしか私には思い浮かばない。『愛鳥週間』が終わると集団は一気になくなったという。w普段は少人数で、やはり天守閣周辺で活動していらっしゃるとのことである。ちなみに私が餌蒔きを始めたのはその愛鳥週間が終わって一週間くらいしてからである。w
 天守閣方面にもいつか行ってみたいと思っている。鳩たちはお堀の内側にも行き来しているというKさんの話だが雀たちはどうだろうか。寝屋川の雀たちは対岸の植え込みとも行き来しているが・・。

cf.NPO法人バード・リサーチ




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チャンネル8.

 昨日紹介した筆者は失礼ながら「ノー天気」と言おうか、「こんなことまで本に書くのか!」と私にはとても賛成出来ない文章が散見されたが、さて今日は安西英明著『スズメの少子化、カラスのいじめ』(ソフトバンク新書)から少し引用させて頂く。この方は『日本野鳥の会』HPで質問コーナーを担当していらっしゃるとのことである。

「鳥のフンはなぜ臭くないか」p99~

 カラスがフンをするところをご覧になったことがあるだろうか? 鳥は頻繁にするので、気にしていれば観察できるはず。少し踏ん張るような姿勢で、ときに尾羽を持ち上げるようにも見える。これはカラスに限らないと思う。鳥たちは人にひっかけるのは気にしないが、自らの羽は汚さないようにしているのではないか。(←私註:私はフンはよく見かけているが脱糞する瞬間ははっきり見たことがない。)「何してる?」と見ていると、どんな鳥でも楽しいが、鳥たちはまず食べていることが多い。ぼーっとしているように見えても、エサを探しているはずだ。活動的で、空を飛ぶためにも多くのエネルギーを必要とする鳥は、たくさん食べなければならない。が、同時に体を重くはできない。つまり、よく食べ、よく出す。
 飛ぶために軽量化された鳥には、出す穴もひとつしかない。総排泄腔と呼ばれるその穴はセックス兼用でもあり、生殖管もつながっている。フンと書いてきたが、人に例えるなら鳥はウンチもオシッコも一緒で、黒い部分がウンチ、白い部分がオシッコにあたる。

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 ↑ 白い部分は尿酸だということである。私が荷台の上の黒板で見た限りで言えば、雀のウンチは黒・茶斑模様の「U字型」で、言わば人間のウンチのミニチュア版だった。w




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