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スズメチャンネル♪

スズメ・鳩・カラス等に関連した内容のブログのつもりで立ち上げましたが、あまりにも不人気なので、これからは内容はフリーにするつもりです。

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チャンネル35.


世界が輸入禁止にしている日本食品

今回はkingo999さんのブログ『放射能メモ 放射能に関する覚書とツイッターのまとめ』からご寄稿いただきました。

●「世界が輸入禁止にしている食品」をチラシにしました

農林水産省「諸外国・地域の規制措置(平成24年8月27日現在)」より、輸入禁止の食材を抽出しました。
輸入禁止ではなくても「政府作成の放射性物質の検査証明書」「産地証明(産地県)」を要求している諸外国・地域が多数あります。詳しくは、農林省の資料をご覧ください。
(農林省資料のキャッシュ: http://kingo999.web.fc2.com/PDF/kensa.pdf)

(イラスト・デザイン: 水谷ゆたか*1)
*1 水谷ゆたかさん『twitter』
https://twitter.com/mizutani_yutaka

このチラシは、商業目的でなければ、ご自由にご活用ください。
商業目的の場合は、下記の条件でご利用ください。

1.使用目的が、脱原発であること
2.改変しないで、そのまま使うこと
3.イラストを描いた「水谷ゆたか」さんの名前を入れること
4.ブログページのURLを記入すること

【韓国】
福島
ほうれんそう、かきな等、梅、ゆず、くり、キウイフルーツ、米、原乳、きのこ類、たけのこ、青わらび、たらのめ、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、わさび、わらび、コウナゴ、ヤマメ、ウグイ、アユ、イワナ、コイ、フナ、アイナメ、アカガレイ、アカシタビラメ、イシガレイ、ウスメバル、ウミタナゴ、ムシガレイ、キツネメバル、クロウシノシタ、クロソイ、クロダイ、ケムシカジカ、コモンカスベ、サクラマス、シロメバル、スケトウダラ、スズキ、ニベ、ヌマガレイ、ババガレイ、ヒガンフグ、ヒラメ、ホウボウ、ホシガレイ、マアナゴ、マガレイ、マコガレイ、マゴチ、マダラ、ムラソイ、メイタガレイ、ビスノガイ、キタムラサキウニ、サブロウ、エゾイソアイナメ、マツカワ、ナガヅカ、ホシザメ、ウナギ、飼料
群馬
ほうれんそう、かきな、茶、ヤマメ、イワナ、飼料
栃木
ほうれんそう、かきな、きのこ類、たけのこ、くさそてつ、さんしょう、こしあぶら、茶、たらのめ、ぜんまい、わらび、ウグイ、イワナ、飼料
茨城
ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、こしあぶら、茶、原乳、メバル、スズキ、ニベ、ヒラメ、アメリカナマズ、フナ、ウナギ、コモンカスベ、イシガレイ、飼料
宮城
きのこ類、たけのこ、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、スズキ、ウグイ、ヤマメ、マダラ、ヒガンフグ、イワナ、ヒラメ、クロダイ
千葉
ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、茶
ほうれんそう、かきな等は3市町(旭市、香取市、多古町)のみが対象。…
神奈川

岩手
きのこ類、こしあぶら、ぜんまい、わらび、せり、たけのこ、マダラ、イワナ、ウグイ

【中国】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、新潟、長野、埼玉、東京、千葉(10都県)
全ての食品、飼料

【ブルネイ】
福島、東京、埼玉、栃木、群馬、茨城、千葉、神奈川(8都県)
全ての食品

【ニューカレドニア】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)
全ての食品、飼料

【クウェート】
47都道府県
全ての食品

【サウジアラビア】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)
全ての食品

【レバノン】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川(6県)
左記県における出荷制限品目

【シンガポール】
福島、群馬、栃木、茨城(4県)
食肉、牛乳・乳製品、野菜・果実とその加工品、水産物

【香港】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)
野菜・果実、牛乳、乳飲料、粉ミルク

【マカオ】
福島
全ての食品
千葉、栃木、茨城、群馬、宮城、新潟、長野、埼玉、東京(9都県)
野菜・果物、乳製品

【台湾】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)
全ての食品

【フィリピン】
福島
ヤマメ、コウナゴ、ウグイ、アユ

【米国】
福島
米、ほうれんそう、かきな、原乳、きのこ、イカナゴの稚魚、アユ、ウグイ、ヤマメ、ゆず、キウィフルーツ、牛肉製品、クマ肉製品、イノシシ肉製品、畑わさび、ふきのとう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ等
栃木
茶、牛肉製品、シカ肉製品、イノシシ肉製品、クリタケ、ナメコ、タケノコ、シイタケ、さんしょう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ
岩手
牛肉製品、タケノコ、シイタケ、せり、わらび、こしあぶら、ぜんまい、マダラ、ウグイ、イワナ
宮城
牛肉製品、クマ肉製品、シイタケ、タケノコ、こしあぶら、ぜんまい、ヒガンフグ、スズキ、ヒラメ、マダラ、ウグイ、イワナ、ヤマメ
茨城
茶、シイタケ、イノシシ肉製品、タケノコ、こしあぶら、ウナギ、シロメバル、ニベ、アメリカナマズ、スズキ、ヒラメ、ギンブナ
千葉
茶、シイタケ、タケノコ
群馬
茶、ウグイ、ヤマメ
神奈川


【ロシア】
福島、群馬、栃木、茨城、東京、千葉(6都県)
全ての食品

【ギニア】
47都道府県
牛乳及び派生品、魚類その他の海産物

執筆: この記事はkingo999さんのブログ『放射能メモ 放射能に関する覚書とツイッターのまとめ』からご寄稿いただきました。

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 今日(9/20)は「森」でも「寝屋川畔」でも、スズメさんたちの参集は昨日ほど多くはなかった。森では足環ちゃんはやはり石材まで乗って来て一応何度もたくさん食べたが、黒っぽいハトに追い払われ餌を奪われたりもした。彼は周囲のハトから横取りされるのを避け、餌を咥えて他所へ逃げる技も覚えた。これは大きな餌をゲットしたスズメちゃんがよくやるテクニックだ。スズメの場合は逃げても尚数羽が追いかけるが、ハトは追わない。

 ヌートリアが大阪城公園にもいるとは驚いたが、外堀は寝屋川系と水門で繋がっているので、誰かが放したりしなくてもあのネズミなら川伝いに入り込んで来ていても不思議はない。
 昨日の記事には「北朝鮮へ食料として送れ」という書き込みがあったが、私も冗談ではなくそう思う。少なくとも、オタマジャクシを蛋白源として食べるよりは数段マシだろう。ヌートリアが増え過ぎて困ると言うのなら、動物園の肉食動物への給餌に使ったらどうか。生餌しか食べない猛禽類には幼児を捕まえて来て食べさせるしかない。
 我々が「屑米」としてハト・スズメへの給餌に使っている米も「小鳥のエサ」も、人間が食べて食べられないものではない。北の高級官僚たちにはせいぜい日本の銘柄米を存分に食べて戴くとしても、食糧難に喘ぐ下々の者たちには「屑米」でも「小鳥のエサ」でも充分過ぎる程のご馳走ではないか。無論これは決して差別的な意味合いで言っているわけではない。「飽食の民」は欧米や日本など、世界の人口の極く小数部分でしかないのである。
 9/19日は(ソフトのオンライン更新があって) ↓ 以下の写真のサイズ変更に手間取り出発が遅れたため、公園に着いたのは11時近かった。現場に行く途中噴水脇の通路になぜか雀たちが集まっていたので、私は食パンの封を破り、パンを連続技で千切っては投げ千切っては投げして、5分くらいで1枚(5枚切り)をほぼ播き切った。終わりの頃はハト2羽も来てスズメちゃんたちも次々退散したので、私もその場を離れいつもの場所へ移動した。

「森」にはハトもスズメも1羽もいなかった。ためしに一かけらパンを投げてみたが1羽も舞い降りて来なかった。それで「桃園に行っているな・・」と見当をつけて西端まで行くと、以前淀川の話をいろいろ聞かせてくれた船乗り氏が一人で餌を播いていたのである。私は「お久しぶりです」と声をかけてから彼と同じ岩に座り、今度は忘れないようメモを取りながら、前回の話を再確認した。こういう情報はお金では買えないし、本にもなかなか書かれていないから貴重である。

 淀川水系と言っても広大だが、私にも自転車を駆って割合気軽に行ける範囲ということなら、桜ノ宮橋から川沿いを上って、人工のビーチを見て、グラウンドとか大学の合宿所も見て、毛馬橋~水門~そこから河川敷を歩いて~水道管の青い橋~赤川貨物鉄橋~城北大橋~豊里大橋からちょっと遠いが鳥飼大橋くらいまで、とりわけ「毛馬橋~城北大橋~豊里大橋」の間が、野鳥や野生動物を観察するのに絶好ではないかとのことだった。

 今の時期ならカモが次々到来しあるとき急激に数が増大する。カイツブリ、マガモ、遅れてサギの仲間も来る。ハンター・ハヤブサが狩りをするのは子育てに動物性食料が必要とされる春先がメインで今はどうか。前回私が忘失した「外来種のネズミの親分」の名前は「ヌートリア」だった。年に2回出産するということで、一度に5~6匹生むがその中で無事大人になれるのはうち1~2匹に過ぎない。それでも現状どんどん増えているのだから、人間が何か圧力を加えない限り滅亡することはない・・。
 船員氏は鳥の話に留まらずこれから会う予定の娘さんたちの話まで披露してくれて、結局私は1時間以上彼の餌播きと付き合ったことになる。最近の私は初見の人に対しては「聞き上手」であろうと努力はするが、それも相手によりけりである。この人は話も上手なので、こちらも歯の浮くような相槌を打つ必要がない。w
 彼は桃園では食パン1斤をゆっくり千切って投げ、それで終了にする人のようだ。彼も私と同じスズメが好きな人であることは前回述べた通りである。
 前回彼はカラスを適当にうまくあしらっていたが今回は怒りが爆発気味で、近づくカラスには石や棒切れを投げつけていた。私より過激だ。w
 接近したカラスを見ても、ハトやスズメたちが一向に逃げようとしないことが今日もあって、私にはそれがいつも気がかりなのだが、彼に言わせると(美食家の?)カラスにはハト肉やスズメの肉などはおいしくないのだろうということだった。彼はまた「自分が虐めたカラスに樹上から自転車の前籠へウンチを落とされたことがある」とも言っていた。明らかに故意による「カラスの仕返し」だと。
 ちなみに私は「森」の方でスズメに白いウンチ(おしっこ)を落とされたことがある。それはズボンの膝の辺りに見事的中したのであるが、あれはまさか「仕返し」ではないだろうな・・。

 彼と別れた後、私は同じ桃園で少しポイントを中央に寄せて自分の餌播きをした。12時45分の開始で1時間後の終了だった。毎度のことながらハトやカラスには悩まされた。水場もベンチの横に用意したが、今日は曇り空であんまり暑くなかったため半分以上残った。涼しくなって来たらトレイ水場は不要かも知れない。
 足環ちゃんはこちらにも来た。しかし近くを徘徊するだけで流石にベンチにまでは乗って来ないので、他のハトを排して彼(女)だけにパンの餌をあげるのは困難だったのでコメにしたりした。
 スズメちゃんたちは昨日よりは多く来たと思う。それも一瞬ではなくいつまでも眼前の地面にいた。

 寝屋川では京橋方面に渡る橋際に20~30羽は来た。彼らは桃園のスズメ同様、コメでもパンでもケーキでも、何でもOKだった。
 川沿いの手すりにカラスが2羽待機していたのでどういうつもりかと思ったら、私がその場を去るのを待ってスズメたちを追い払い、2羽でコメ+雑穀を独占して食べ始めていた。私は橋の上からそれを確認したので(追い払うつもりでもなく単に)写真を撮りに行ったらカラスたちは石段から逃げ去ってしまった。









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 ヌートリアは大阪城公園にもいるらしい!
そう言えば私はお堀など殆ど見に行かないからね。あっちゃ。

南米の巨大ネズミ大繁殖 京都・鴨川や大阪城では餌やりが問題に

古都・京都の中心を流れる鴨川で、南米原産の巨大ネズミが大繁殖している。
水面を気持ちよさそうに泳ぐ、長い尻尾に白いひげを持つ動物。
南米原産の巨大ネズミ「ヌートリア」。

もともと、毛皮を軍の防寒具として使用するため持ち込まれたが、戦後、需要がなくなり、国内で大繁殖した。
鴨川でも、2011年から急速に増え始めたという。
観光客は、「びっくりしますね」、「まさか、そんなものがいるとは」などと語った。
農水省の調べによると、ヌートリアによる農作物被害は、全国でおよそ1億円。
日本では、北海道と九州を除くほぼ全域で生息しているが、ここ鴨川のヌートリアにはある特徴が見られる。
本来、ヌートリアは夜行性だが、昼間と比べると、夜は明らかに数が少なく、それも子どもだけで、親の姿はなかった。
京都精華大学の村上興正理学博士は「活動が変わってきて、夜行性から昼行性になった」と語った。
この変化に、大繁殖の一因があった。

地元住民や観光客などが日中に餌づけしたことで、ヌートリアは昼間に活動するようになったという。
京都府などは、動物の餌づけをやめるよう呼びかけているが、餌をやる人はあとを絶たない。
ヌートリアに餌をやる人は「僕、自問自答してますよ。あんまりなつかせていいものかと。(今後、餌やりは?)来ますよ。あいた時間の楽しみなんでね」と語った。

さらに同様の現象は、大阪の観光名所でもみられる。
観光地として有名な大阪城にも、ヌートリアが生息している。
大阪城のお堀にいるヌートリア。
日中、動き回るヌートリアの陰には、やはり餌づけがあった。
ヌートリアに餌をやる人は「俺だけじゃなくて、何人もやってるよ。別に悪いと思わへん」と語った。
外来生物法には、餌づけについての禁止事項がないため、人々のモラルに任せるしかないのが実情となっている。
農作物などへの目立った被害がないため、鴨川・大阪城公園の周辺では、行政による捕獲・駆除は行われていないという。
京都の住民は「やっぱり駆除しないと、あかんのとちゃいますかね」と語った。
京都精華大学の村上理学博士は「(生息域が)今、どんどん拡大してます。できるだけ初期に対処をして、いないようにしないと」と語った。
京都府は今後、看板などを増やして、餌やりを自粛するよう、広く呼びかけていくという。








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チャンネル30.
















 今日の写真だが、下の2枚は雀たちが「砂浴び」をした後に出来た穴ぼこである。

 昨日は帰り際雷雨に襲われてびしょ濡れになってしまったのでPC喫茶は已む無く中止した。家のPCは1年半くらい壊れたままであり数値入力を除けば文字入力が全面不可能なので、ログインもログアウトも出来ないし、まして文章など全然打てないから、私の場合何か書くにはPC喫茶へ行かないとダメなのである。これまで使った喫茶店代だけで充分PCは買えた筈だが、中古を買っても新品を買ってもいつ壊れるかわからないし(!)セッティングその他も面倒なのでいまだ買い換えていないのである。あっちゃ。

  それで、昨日も今日も「桃園~森」という順番で播いたが、桃園では鳩の横暴が目立った。雀たちは委縮し、以前はがむしゃらに取りに行っていたパンの欠片を遠慮して鳩に譲ることがしばしばあったのは意外だった。何があったのか、余程鳩に苛められたのか、相対的に鳩の数が多く、雀たちは小さくなっていた。が、今日の「おもいでの森」では(以前ほどではないにしろ)雀の数も盛り返して、その分元気さも復活していた。これから冬に向けてスズメの若鳥たちは新天地を求めてどこかへ移住し、結果付近の雀の数はどんどん減少して行くのだろうか。

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 通常私は1.5Lのペットボトルに冷水又は水道水を入れて鳩や雀たちの水浴び用に家から持って行くのだが、今朝は冷水が1L程しか無かったため、氷で冷やした「濃いお茶」を500mlほど注ぎ足して持って行った。「お茶入り冷水」は桃園で半分使って無くなった。残りは「森」でトレイに一杯分あった。それを真っ先に呑んだのは例のカラスの親分である。私が「カァ!」と大声を出しても敵は一向に動じなかった。まるで私が声を荒げるだけで手出しはしないことを読み切っているかの如くだった。仕方なしに食パンの角を千切って丸めたのを彼に与え、お引き取り願った。ヤクザやさんのショバ代みたいなものである。しかも私よりエバッテいるのだ。しかしそれで他のカラスはたまに「低空飛行」をするくらいで手出しも邪魔立てもしないのだからお安いものである。

 カラスが去った後の「お茶浴び場」は凄かった。予想外に鳩たちには大人気で、瞬く間にお茶入り冷水は払底してしまい、片隅に僅かに残ったお茶の「水利権」を巡って、鳩たちの間で格闘が続行された。結局体をプウと膨らませた1羽のハトが勝利して(?)トレイの真ん中に居座ってしまったのだった。スズメちゃんたちの出る幕はなかった。

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チャンネル26.

桃園園内の様子。


スズメちゃんたちには何故か不人気だった『鳴門金時の蒸しパン』

『6-7』と書かれた鉢皿は桃園専門でスズメに餌やりをするおじさんからの戴きもの。彼はこの手の皿を何枚も持っている。私も同じ大きさの皿を2枚買い足したが水場用に使っている。彼の言う「人間は裏切るが雀は裏切らない」は名言だろう。

私のベンチに来た鳩ちゃん。彼らはちょっとでも甘やかすとすぐに馴れ馴れしい態度になる。スズメちゃんが来たのなら手移しでケーキでもあげるのだが、鳩ではなんにもあげない。

私の周りにはいつも鳩たちが陣取るようになってしまった。私の主賓たるお雀様は外回りだ。給餌を食パンだけに戻せば、以前のように雀たちも私のすぐそばまで来られるのだが・・。

ベンチの脇にトレイの水場をセットしてみたが、来たのは鳩だけだった。

(スズメの砂浴び)

 ちょっとでも砂溜まりのある場所ではスズメたちはよく砂遊びをする。砂地を掘り起こして、水浴びと似たような感覚で砂のシャワーを浴びるのである。彼らが砂浴びをした跡は小さな丸い窪みになる。「おもいでの森」中央の植え込み脇にはそんな丸い穴が幾つもある。

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 御大層なことを言わせてもらうならば、私は:

1.人口問題。
2.食糧問題。
3.自然界の生態系の問題。

・・などを、いろいろ身の回りの出来事を通して考えて行きたいと思っています。ぁそ。

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 それで北朝鮮の食糧事情を調べてみたら:

1.『中央日報日本語版』には以下のような記事があった。

北朝鮮兵士も…飢えに耐えられずこんなことまで…

2012年03月29日15時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

  北朝鮮軍部隊の食糧難が深刻な状況になる中、飢えに耐えられず軍人がカエルの卵やオタマジャクシまでとって食べている、という証言が出てきた。

28日の米国自由アジア放送(RFA)によると、両江道甲山郡(ヤンガンド・カプサングン)に駐留する第43軽歩兵旅団のある兵士は「政治犯は管理所でネズミやカエルを取って食べるというが、私たちはかたっぱしからとって食べている」とし「ネズミ、ヘビ、バッタ、カエルをはじめ、カエルの卵、オタマジャクシも食べている」と伝えた。

北朝鮮軍人にとってネズミとヘビ、カエルは、不足するたんぱく質を補充してくれる食べ物だ。バッタとカエルの卵、オタマジャクシは、栄養失調の軍人の特別栄養食と考えられているという。ほとんどの人がオタマジャクシの料理法を常識として知っているほどだ。

この兵士は「沸騰している水にオタマジャクシを入れると、肉は水にふやけて、はらわたのようなカスが少し残る」とし「水に塩を入れて煮込めばゼリー状になる」と伝えた。沸騰した水にオタマジャクシをそのまま入れて混ぜて食べるケースも多いという。

北朝鮮部隊の食生活について、この消息筋は「塩漬けの大根を洗った水に菜っ葉を少し入れてスープをつくるほど」とし「コメが少し混ざったトウモロコシ飯に大根3、4切れが唯一のおかず」と話した。

北朝鮮当局は軍用米の不足にもかかわらず軍兵力を減らしていない。咸鏡北道(ハムギョンブクド)のある幹部消息筋は「将軍様(金正日)が生前に、軍兵力を減らして軍用米問題を解決することを検討したと聞いている」とし「しかし『社会に不満を抱いている若者を放置すれば何が起こるか分からない』という考えで数を減らせなかった」と伝えた。 .

2.また『阿修羅』には少し古いが以下の記事があった。

北朝鮮の平民の生活の実態は地獄だ!
http://www.asyura.com/2003/war25/msg/443.html
投稿者 はやくやっちゃえ 日時 2003 年 3 月 09 日 00:02:59:

いたるところで、↓に似た話が出ている。
北朝鮮の穀物生産量は、いまも、ほとんど増えていない。
脱北する者も増えつづけている。
これは、現在の話だ!
開放する為には、早くやっちゃえ!

(▲「週刊東亜」第216号/2000.01.06)
http://www.dongailbo.com/docs/magazine/weekly_donga/news216/wd216cc030.htmlより

■韓半島/いま北朝鮮では

飢えの土地、銃殺に火あぶりまで

北脱出者証言報告書…韓国人と会ったり、軽微な窃盗も「例外なく銃殺」

<いま、北朝鮮でどのようなことが行われているのか、世界はあまり知らずにいる。大部分の人々は貧困と飢謹にあえぎ、飢死する人々が続出しており、飢えに耐えられず豆満江、鴨緑江を渡り中国へ越えて行く住民たちが多いという程度としてのみ知っている。しかし北朝鮮では、飢えて死ぬ人々以外にも銃殺されて死ぬ人々が少なくない。

また火あぶり(火刑)という残忍非道な方法により死んでいく人もおり、はなはだしきは人間に食べられて死ぬ人々もいる。本文は11月中旬頃、中国東北地方のある都市で会った北脱出者20余名の証言を土台に、関係機関が作成したものである。彼ら北脱出者は、総じて99年10月末頃に北を脱出した人々であるがゆえに、最も最近に行われたことについての生々しい証言を聞くことができた。

いま北朝鮮で行われているぞっとするような行為が、どうして、どのように発生したのかを知ることができる。>

  公開銃殺は頭から狙う

公開銃殺はどんな方法で行われるのか。咸北茂山が故郷のイ・ヨンフン君(17)によれば、茂山では、おもに茂山中学校のそばにある青年公園で銃殺が行われる。銃殺が執行される時は、まず人間の身長より大きい樹を選び、その樹の前に小さな踏み台を置いてから、踏み台の上に人間を立たせる。死刑となる人々はほとんど全員が死刑場にくる時からすでに半死状態のままずるずる引かれて出てくる。監獄中で酷使と殴打を受けているのである。

銃殺する時は、三人の軍人がひとりを同時に射つ。軍人ひとりが自動小銃を四発発射する。死刑囚には合計12発が撃ち込まれる。そばにある放送から「前方の犯罪者に向かって単発で撃て」と命令が下されると、死刑囚の頭がまずぐさりと落ちて血がほとばしり出てくる。その次に胴体がさく烈する。通常は、胴体の血が外に飛び散らないよう、厚い布をかぶせるが、それでも血が外部に流れ出る。総計12発を被弾した人間は、身体の形が完全に崩れてしまう。死んだ人々の屍体は台に載せられ、ナンバープレートのない車に乗せられてどこかに消える。車にナンバープレートが付いていれば、死刑された人々の家族がその番号を見てその車に対して報復してくる可能性があるため、ナンバープレートをはずしているのだ。屍体をどこに捨てたのかわからないため、家族は屍体を埋葬する方法がないのである。

死刑囚を射つ時は例外なくまず頭から射つ。何故そのように残忍な方法で銃殺を行うのであろうか?清津が故郷で、海軍で7年間服務したのちに脱出したキム・ヨンジン氏(25)によれば、頭の中に資本主義思想が入ってしまったがゆえに銃殺する、という事実を北朝鮮人民らに明確に見せる意図があるという。北脱出者がいまほど多くなかった90年代初め頃までは、公開銃殺刑では胴体から射ったということだ。

公開銃殺は人々がたくさん集まる場所で執行される。他の人に警戒心を植え付けるためだ。そのため通常、数千名の人々が処刑場面を目撃する。家族は必ず参加しなければならない。家族はその銃殺が正しいものであることを、見物している人々に十分に証言してくれなければならないのである。かと言ってその家族の無事が保証されるわけではない。北朝鮮当局は家族らの報復を恐れ、死刑囚の遺族全員を保衛部の監獄に送致する。

公開銃殺場面を二つの目で目撃した人々はどのような感覚を受けるのか。咸北会寧が故郷で、軍に3年間服務している途中で北朝鮮を脱出したキム・ソンチョル氏(23)は、会寧でだけ20回以上の公開銃殺を見たことがあるという。

「頭がめちゃめちゃになり血が四方に飛び散り、全身に赤い鮮血が降り注ぐように出てくるのを初めて見た時は、あまりにもぞっとして、夜ごとの恐怖感に苦しめられ、こりごりでした。よく眠れず、また眠り込んだとしてもぞっとするような悪夢を見ました。しかし銃殺場面もたびたび見てしまった今となっては、なんでもないです」

  連座制で一家族みな銃殺

公開銃殺の場合、連座制が適用され、一家族三世代が同時に死刑台の前に立つ場合がある。茂山から来たイ・ソンス君(16)の証言によれば、1998年1月8日、茂山在住のキム・ソンド(21)が、韓国の安全企画部により買収されたとして、キム・ソンド本人と父、母、親戚ひとりなど合計4人が同時に銃殺されたという。このように北朝鮮では、過去の朝鮮時代に逆賊を処罰する時、三世代を満遍なく滅ぼすことと同じ前近代的な方法が堂々と行われている。キム・ソンドは茂山で金正日党書記に反対して親韓国運動を起こそうとし、進んで清津の人々をも一緒に抱き込みかけたのだが、北朝鮮安全部に申告され捕えられたという。北朝鮮当局の判断により、重罪である思想犯の場合は家族もろとも銃殺し、そうでない場合は遺族を保衛部の監獄に送致する。北朝鮮の監獄は監獄という名ばかりの、死の収容所である。遺族は監獄のなかで食うに事欠いて、むちで打たれて結局は死んでいくのだ。たとえ銃殺されずとも、結果は同じなのである。

北脱出者らは93年頃、イ・インモ老人が北朝鮮に帰ってきた時、彼が韓国の監獄で30年以上閉じ込められていながらも死なずに生きていたことに対して、みな理解できなかったという。北朝鮮住民たちの常識では、監獄では5年以上を過ごすことは不可能で、みな死ぬであろうと考えているためだ。北朝鮮の人々は健康なイ・インモ老人を見て、韓国は監獄さえも住みやすいのならば、監獄の外側の社会はどれほど住みやすいのだろうか、と考えたという。監獄に入れられる人々の中には、北朝鮮の犯罪基準からみて無実である人々が多い。監獄で死んだ人々は山に掘られた小さな穴に埋められる。どこに埋められたのかわからないため、家族は遺体を見ることも、また墓に埋葬することもできない。チェ・キテ氏(25)によれば、保衛部の監獄はチョンソン郡トンボにもあり、会寧市チャムヒョ里にもあるという。

  牛を捕食したり機械の部品を取り出しても銃殺刑

会寧で軍生活を過ごしたキム・ソンチョル氏は96年以後、会寧でだけ20回以上の銃殺を目撃した。キム・ヨンジン氏(25)は清津で7回の公開銃殺を目撃し、ラナムで3回の銃殺を目撃した。最近でも銃殺は行われているものの、特に96年が最も頻繁だったという。イ・ヨンフン君は茂山で95、96、97年に10回ほどの公開銃殺刑を目撃した。チェ・キテ氏は会寧で13回の銃殺を目撃し、茂山で女性が火あぶりにされるのを目撃した。イ・ソンス君は茂山で三回、茂山のゴム山で行われた銃殺を目撃した。これを合計すると、95年以後、会寧で20回以上、茂山で10回以上、清津附近で10回以上の公開銃殺刑が執行されたということがわかる。もちろん、中には火あぶりも存在した。一回の銃殺執行で、多ければ9人、少なくとも4人が殺される。一度に平均5人ほどが銃殺されるとすれば、95年以後の会寧、茂山、清津一帯だけでも200名以上が公開銃殺(火あぶりを含む)されたということになる。

公開銃殺は最近でも継続されている。チェ・キテ氏の証言によれば、99年8月、会寧では6人が同時に銃殺された。牛17頭を盗んで捕食したという罪目だった。

銃殺は厳重な犯罪だけに執行されるわけではない。窃盗のような軽微な事件も銃殺刑となる。牛を捕食したり工場の銅を盗み出して売り飛ばした人、起重機などの付属品や金属を取り出し売り飛ばした人もすべて銃殺刑である。

その中で、真っ先に銃殺刑が確定するのは、中国に渡ってキリスト教徒や韓国人に会った場合である。このような時は思想が完全に変化したという理由から拷問を受けたのち、死刑が執行される。韓国人に会った場合、その韓国人の職業が実際にはなんであっても、死刑が執行される時には無条件で安全企画部の要員に会ったと発表されるらしい。

  ヌード写真を印刷して食費を稼いだ女性が火あぶり

チェ・キテ氏の別の衝撃的な証言によると、北朝鮮では火あぶり(火刑)が執行されるというのだ。北朝鮮での火あぶりの話はいままで韓国のメディアに報道されなかった事実である。中世ヨーロッパで一時、悪魔と見なされた人々に執行された火あぶりが、韓半島の北方で強行されているというのだ。99年10月、中国へやってきた軍人チェ・キテ氏は96年夏、咸北茂山で火あぶりが執行されるのを目撃した人だ。火あぶりは茂山市場で公開執行された。

当時、火あぶりに処された人は23才の女性であった。自分とお姉さんと二人でヌード写真を印刷し、中国で売ったという罪であった。彼女のお姉さんは中国のファリョンに住んでいるため、妹が姉に会おうと渡江している途中で軍人に捕まった。身体検査してみると、彼女とお姉さんのヌード写真が発見されたのである。この姉妹はヌード写真を刷っては食費を稼いできたということだった。北朝鮮はヌード写真に対しては、資本主義の黄色風(旋風)が入る、としてひどく警戒する。その結果として火あぶりにまで処するというのは、あまり残忍な処置である。

火あぶりはどのようにおこなうのか。ヌード写真を刷った女性はまず木に縛り付けられる。そして足元に薪を集めて火をつける。北朝鮮の安全部では、家族に火あぶりの執行を直接行わせる。この女性の場合にも、父と母が木を集めたあとで、父に火を付けさせたのである。火あぶりの執行ということさえ想像を絶するものであるにもかかわらず、家族を火あぶりにするとは、その家族の心情は果してどうであろうか。その女性は身体が炎に包まれた瞬間にも「私は死んでも、お姉さんは中国でお金たくさん稼いで、いい生活をするはずだ」と絶叫したという。

  人肉で食べ物を作った女主人も火あぶり

キム・ヨンジン氏も清津のスナムで目撃した火あぶりを証言した。95年8月、清津スナムで汁飯食堂を運営する女性が赤ん坊の肉で肉汁飯を作り、売っている途中で発覚した。その赤ん坊は母親が外地に食料を求めにでかける間、食堂に預けた子どもであった。

一週間ぶりに家に帰ってきた赤ん坊の母親は、息子がいなくなったという話を聞いて、周囲の人々をたずねまわった。その結果、ぞっとする行為があったのを知った。

食堂の主人はスナム橋のそばの空地で火あぶりにされた。茂山で火あぶりにされた女性のように、その女性の家族が直接火をつけた。その光景を目撃した人は数千名に達したという。

95年といえば、北朝鮮の飢餓が最も深刻な年であった。その頃、北朝鮮では人肉を食べるという噂が飛び交っていたのだが、キム・ヨンジン氏の証言を聞くと、それが単純な噂ではなく事実である可能性がかなり高い。キム氏もやはりその汁飯を人肉と知らずにおいしく食べたという。キム・ヨンジン氏によれば、その汁飯食堂は独特の味ゆえに、お客さんが多かったという。  

はらわたは腸詰、肉は汁飯

キム・ヨンジン氏が人肉証言を行うのと同様、チェ・キテ氏も97年4月に会寧市で人肉を売っている途中で発覚し、家族全員が銃殺された事件を証言した。この家族は食べるものがなく、家まで売り飛ばし、あげくの果てに赤ん坊をこっそりと殺した後、その肉を売り始めたのである。はらわたで腸詰を作り、肉で汁飯を作って売った。この家族が赤ん坊の肉を売り始めたのは95年10月からであった。彼らは1年以上も赤ん坊の肉を売っていたがゆえに、犧牲となった子ども達は少なくなかった。18才未満の未成年者の場合は死刑にはならないのだが、この家の息子と娘はその罪質があまり大きいとして、全員が処刑されたという。

中国で会った北脱出者を通じて確認した公開銃殺、火あぶり、人肉事件などはみな背筋が寒くなるような衝撃的な話である。ヒットラーはアウシュビッツ収容所にあるガス室でユダヤ人を集団虐殺し、クメール・ルージュは人の顔にビニール袋をかぶせて、毒ガスを注入し虐殺するという蛮行を行った。いま北朝鮮の金正日党書記は、人々を飢えで殺し、監獄で拷問や殴打で殺し、公開銃殺で殺し、あげくの果てに火あぶりにする。北脱出者は一様に、北朝鮮では常識では理解できない蛮行が行なわれている、と証言する。

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チャンネル24.

昨日の写真:
①寝屋川べりに来たカラス。
②同じく。

③久しぶりに荷台に黒板をセットしてみた。

④同上。

⑤数的にはスズメちゃんたちは板にはあまり来なかった。

⑥同上。

⑦水を呑むカラス。

⑧横を向くカラス。バックは外堀。

⑨僅かのコメに殺到する鳩たち。

⑩足環のハトちゃん。w

⑪水場に来ている雀ちゃんだが、鳩が来るとどかされる。

⑫ハトがいてスズメがいて、遠巻きにカラスもいる光景。

⑬水場のハトとスズメ。

⑭遠くで待機するカラス。


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 今日は10:50には「おもいでの森」に到着したが石畳にハトはいないし辺りは静まり返っていたので、向かい側の桃園の西の端にすぐ移動した。
 そこも最初は「音なしの構え」で静かだったが、挨拶代わりに餌をパラパラ播いてみるとスズメちゃんばかりが殺到して「これはいい!」と思ったが、すぐにハトの大群が押し寄せ、続いてカラスたちもやって来た。結果いつもと同じになってしまった。 
 11:45.餌も大方は播き終わり、桃園は終了するつもりでいたが、水場用のトレイのセットが汚れたためそれらを洗って戻って来てから気が変わって、もう一度桃園の以前播いていた真ん中辺の椅子で店を開いた。あとは寝屋川べり用に少しだけ残しておけばいいので、私はすぐ終わらせるつもりで安易な播き方をした。そこに油断があった。

 ハトたちが蝟集する私のすぐそばまで1羽のカラスがやって来た。そんなことをするのは昨日水を5回も飲みに来たカラスしかいないと思って、私はカラスには小さ過ぎるカステラ片を彼に与え、続いて彼とは少し離れた場所に同じような大きさのカステラを投げた。するとカラスはそれをも食べるつもりで餌に寄って行ったのである。ハトたちもスズメたちもみんな逃げたのだが、1羽のハトだけは(カラスの接近に気付かなかったのかも知れないが)カラスを無視して餌を食べた。カラスは突如牙を剝いて猛然と背後からそのハトに襲い掛かった。ハトは翼の一部を喰いちぎられてしまった。

 カラスにハトを食べる気はなかったと思うのだが、私の目の前でハトが襲われたことに変わりはない。私の怖れていたことが起こってしまったのである。私は即座に「カア!」と大声を出してカラスを追い払った。カラスは道路の反対側の「おもいでの森」方面に逃げ去った。私が追わなかったらハトはそのまま食べられてしまったかどうか、それはわからないが、いずれにせよ翼の一部を一瞬にして失ったハトは今後単に飛ぶだけのことにも不自由するだろう。 

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 寝屋川べりではポイントに拘らず私はあちこちでスズメたちに餌を播いている。大阪城公園で余った食パンとかケーキとかコメ類である。スズメさんたちの反応はまちまちで、彼らが逡巡していると、コメなどはみんなハトたちに食べられてしまう。まだ私を信用していないスズメ様が多いのである。

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 ここと概ね同じ内容のブログ「スズメ天国ってか♪」をここと同じ日に「はてな」に立ち上げた。(但し向こうはカウンターの設置が遅かったので数値はまだ低い。)記事推敲の過程で両者の内容が大きく異なってしまうこともあるが、大体は同じである。w

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*カラスと言えば「大都会のスカベンジャー(清掃人=屍肉処理班)」だそうだが、スカベンジャーで検索したら「フィリピン:暮らしを立てるスカベンジャー」という写真記事が出て来た。こちらは「スモーキーマウンテン」という有名なゴミの集積所でゴミを拾って生計を立てている人々の話である。彼らの収入は一般農家と同じくらいあるとのことである。

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チャンネル22.



 ↑ 上の写真の説明。

 上から→①②ムクドリ♀2枚。③④足環の鳩の後姿2枚。(この子は後で何回も私の腰掛ける岩まで乗って来たからその都度特別待遇でエサをあげた。w)⑤水場の鳩。⑥呼んでもいないのに乗って来た鳩。←鳩は少しでも甘やかすと私の足や手に乗って来るし、自転車の荷台にも乗るしで、はっきり言ってとても邪魔なのだが・・。⑦その下は引き上げる『雀のおばさん』の後ろ姿。正面の写真は恥ずかしいと言うので後姿になった。⑧岩場の上の「ふくら雀(?)」。⑨⑩石畳でエサを待つ雀と鳩2枚。

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 今日は10:15の開始を待たず、水場用のトレイを並べている段階で頭の禿げ上がった「いかつい顔」の貫録充分な「カラスの親分(?)」がトレイのすぐそばまで来て、私が給水するや「いの一番」で水面に首を傾け入れ、コクコクコクと少しだけ水を飲んで去って行った。水が欲しかったというよりは「俺はこうして水だって自由に飲めるんだぞ」と周囲に誇示するのが狙いだったように私には思われた。  
 私がカラスたちを甘やかし過ぎた結果だろうか、彼に限らず今日のカラスたちは皆態度がでかく、鳩や雀たちに投げた小さなエサまで奪いに来ることが何回かあった。一度など雀たちがコメをついばんでいるど真ん中にカラスが突っ込んで来て何かを咥えたので一瞬「やられた!」と思ったが、咥えたのはパンの欠片だったことがわかってホッと一安心した。雀も鳩も、私がカラスにまで何度も大きなエサを投げ与えているのを見て、安心し切って(?)自分の食餌に集中している様子なので、これは考えてみるととても怖いことである。苛めても仕返しされる、「最恵国待遇」しても危険だ、ということであるから、私の「カラス対策」はまだまだ改良の余地があるようだ。

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チャンネル21.



 今日の写真の上の3枚は寝屋川の石段で私が餌蒔きしている対象の雀たち。ここは多くても15羽くらいしか来ない。写真は私が蒔いた「コメ+雑穀」を食べている様子である。最初のとっかかりに私はパンまたはケーキの欠片を投げ、彼らは飛びついて来るのだが、米を蒔いた後パン系を投げても反応が鈍く、今日などはムクドリ1羽が何度も来て、彼女に5~6個は持って行かれた。
 次の2枚はそのムクドリ♀の写真である。羽毛全体が灰色がかっているから♀なのだ。
 一番下の写真には左端に「待機姿勢」のカラスが写っている。場所は「おもいでの森」だ。

  今日は最近にしては早めに出掛け、9時30分には「おもいでの森」に着いたが、そこには先客がいた。なんと久方ぶりの『スズメのおばさん』である。
 考えてみると彼女が蒔く時間を変えたというよりは、私の『出勤』が遅くなって来たようである。彼女はこの間天守閣方面にも行っていたと言う。彼女のスタイルは、自宅で食パンを細かく刻んで用意し、それを少量ずつ投げたり手渡ししたりするのである。
「私は鳩には餌をやらない」と今日も言っていた。「鳩は急襲するときスズメの足を狙って来る。だから骨折して足をブラブラさせている雀が大勢いる」と言うのだ。確かに体長で自分の3倍はあろうかというハトにまともに乗っかられたら無事では済まないだろう。だからスズメたちは鳩が接近するとまず逃げるのである。
 この方も餌遣り歴は長く、ハトやスズメが目の前でカラスに食べられるのを何度も現認しているそうだ。そして私のようにハトにもカラスにも餌遣りするような節操のないアッパラパーではない、「断固スズメ派」の方である。w


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