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スズメチャンネル♪

スズメ・鳩・カラス等に関連した内容のブログのつもりで立ち上げましたが、あまりにも不人気なので、これからは内容はフリーにするつもりです。

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チャンネル26.

桃園園内の様子。


スズメちゃんたちには何故か不人気だった『鳴門金時の蒸しパン』

『6-7』と書かれた鉢皿は桃園専門でスズメに餌やりをするおじさんからの戴きもの。彼はこの手の皿を何枚も持っている。私も同じ大きさの皿を2枚買い足したが水場用に使っている。彼の言う「人間は裏切るが雀は裏切らない」は名言だろう。

私のベンチに来た鳩ちゃん。彼らはちょっとでも甘やかすとすぐに馴れ馴れしい態度になる。スズメちゃんが来たのなら手移しでケーキでもあげるのだが、鳩ではなんにもあげない。

私の周りにはいつも鳩たちが陣取るようになってしまった。私の主賓たるお雀様は外回りだ。給餌を食パンだけに戻せば、以前のように雀たちも私のすぐそばまで来られるのだが・・。

ベンチの脇にトレイの水場をセットしてみたが、来たのは鳩だけだった。

(スズメの砂浴び)

 ちょっとでも砂溜まりのある場所ではスズメたちはよく砂遊びをする。砂地を掘り起こして、水浴びと似たような感覚で砂のシャワーを浴びるのである。彼らが砂浴びをした跡は小さな丸い窪みになる。「おもいでの森」中央の植え込み脇にはそんな丸い穴が幾つもある。

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 御大層なことを言わせてもらうならば、私は:

1.人口問題。
2.食糧問題。
3.自然界の生態系の問題。

・・などを、いろいろ身の回りの出来事を通して考えて行きたいと思っています。ぁそ。

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 それで北朝鮮の食糧事情を調べてみたら:

1.『中央日報日本語版』には以下のような記事があった。

北朝鮮兵士も…飢えに耐えられずこんなことまで…

2012年03月29日15時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

  北朝鮮軍部隊の食糧難が深刻な状況になる中、飢えに耐えられず軍人がカエルの卵やオタマジャクシまでとって食べている、という証言が出てきた。

28日の米国自由アジア放送(RFA)によると、両江道甲山郡(ヤンガンド・カプサングン)に駐留する第43軽歩兵旅団のある兵士は「政治犯は管理所でネズミやカエルを取って食べるというが、私たちはかたっぱしからとって食べている」とし「ネズミ、ヘビ、バッタ、カエルをはじめ、カエルの卵、オタマジャクシも食べている」と伝えた。

北朝鮮軍人にとってネズミとヘビ、カエルは、不足するたんぱく質を補充してくれる食べ物だ。バッタとカエルの卵、オタマジャクシは、栄養失調の軍人の特別栄養食と考えられているという。ほとんどの人がオタマジャクシの料理法を常識として知っているほどだ。

この兵士は「沸騰している水にオタマジャクシを入れると、肉は水にふやけて、はらわたのようなカスが少し残る」とし「水に塩を入れて煮込めばゼリー状になる」と伝えた。沸騰した水にオタマジャクシをそのまま入れて混ぜて食べるケースも多いという。

北朝鮮部隊の食生活について、この消息筋は「塩漬けの大根を洗った水に菜っ葉を少し入れてスープをつくるほど」とし「コメが少し混ざったトウモロコシ飯に大根3、4切れが唯一のおかず」と話した。

北朝鮮当局は軍用米の不足にもかかわらず軍兵力を減らしていない。咸鏡北道(ハムギョンブクド)のある幹部消息筋は「将軍様(金正日)が生前に、軍兵力を減らして軍用米問題を解決することを検討したと聞いている」とし「しかし『社会に不満を抱いている若者を放置すれば何が起こるか分からない』という考えで数を減らせなかった」と伝えた。 .

2.また『阿修羅』には少し古いが以下の記事があった。

北朝鮮の平民の生活の実態は地獄だ!
http://www.asyura.com/2003/war25/msg/443.html
投稿者 はやくやっちゃえ 日時 2003 年 3 月 09 日 00:02:59:

いたるところで、↓に似た話が出ている。
北朝鮮の穀物生産量は、いまも、ほとんど増えていない。
脱北する者も増えつづけている。
これは、現在の話だ!
開放する為には、早くやっちゃえ!

(▲「週刊東亜」第216号/2000.01.06)
http://www.dongailbo.com/docs/magazine/weekly_donga/news216/wd216cc030.htmlより

■韓半島/いま北朝鮮では

飢えの土地、銃殺に火あぶりまで

北脱出者証言報告書…韓国人と会ったり、軽微な窃盗も「例外なく銃殺」

<いま、北朝鮮でどのようなことが行われているのか、世界はあまり知らずにいる。大部分の人々は貧困と飢謹にあえぎ、飢死する人々が続出しており、飢えに耐えられず豆満江、鴨緑江を渡り中国へ越えて行く住民たちが多いという程度としてのみ知っている。しかし北朝鮮では、飢えて死ぬ人々以外にも銃殺されて死ぬ人々が少なくない。

また火あぶり(火刑)という残忍非道な方法により死んでいく人もおり、はなはだしきは人間に食べられて死ぬ人々もいる。本文は11月中旬頃、中国東北地方のある都市で会った北脱出者20余名の証言を土台に、関係機関が作成したものである。彼ら北脱出者は、総じて99年10月末頃に北を脱出した人々であるがゆえに、最も最近に行われたことについての生々しい証言を聞くことができた。

いま北朝鮮で行われているぞっとするような行為が、どうして、どのように発生したのかを知ることができる。>

  公開銃殺は頭から狙う

公開銃殺はどんな方法で行われるのか。咸北茂山が故郷のイ・ヨンフン君(17)によれば、茂山では、おもに茂山中学校のそばにある青年公園で銃殺が行われる。銃殺が執行される時は、まず人間の身長より大きい樹を選び、その樹の前に小さな踏み台を置いてから、踏み台の上に人間を立たせる。死刑となる人々はほとんど全員が死刑場にくる時からすでに半死状態のままずるずる引かれて出てくる。監獄中で酷使と殴打を受けているのである。

銃殺する時は、三人の軍人がひとりを同時に射つ。軍人ひとりが自動小銃を四発発射する。死刑囚には合計12発が撃ち込まれる。そばにある放送から「前方の犯罪者に向かって単発で撃て」と命令が下されると、死刑囚の頭がまずぐさりと落ちて血がほとばしり出てくる。その次に胴体がさく烈する。通常は、胴体の血が外に飛び散らないよう、厚い布をかぶせるが、それでも血が外部に流れ出る。総計12発を被弾した人間は、身体の形が完全に崩れてしまう。死んだ人々の屍体は台に載せられ、ナンバープレートのない車に乗せられてどこかに消える。車にナンバープレートが付いていれば、死刑された人々の家族がその番号を見てその車に対して報復してくる可能性があるため、ナンバープレートをはずしているのだ。屍体をどこに捨てたのかわからないため、家族は屍体を埋葬する方法がないのである。

死刑囚を射つ時は例外なくまず頭から射つ。何故そのように残忍な方法で銃殺を行うのであろうか?清津が故郷で、海軍で7年間服務したのちに脱出したキム・ヨンジン氏(25)によれば、頭の中に資本主義思想が入ってしまったがゆえに銃殺する、という事実を北朝鮮人民らに明確に見せる意図があるという。北脱出者がいまほど多くなかった90年代初め頃までは、公開銃殺刑では胴体から射ったということだ。

公開銃殺は人々がたくさん集まる場所で執行される。他の人に警戒心を植え付けるためだ。そのため通常、数千名の人々が処刑場面を目撃する。家族は必ず参加しなければならない。家族はその銃殺が正しいものであることを、見物している人々に十分に証言してくれなければならないのである。かと言ってその家族の無事が保証されるわけではない。北朝鮮当局は家族らの報復を恐れ、死刑囚の遺族全員を保衛部の監獄に送致する。

公開銃殺場面を二つの目で目撃した人々はどのような感覚を受けるのか。咸北会寧が故郷で、軍に3年間服務している途中で北朝鮮を脱出したキム・ソンチョル氏(23)は、会寧でだけ20回以上の公開銃殺を見たことがあるという。

「頭がめちゃめちゃになり血が四方に飛び散り、全身に赤い鮮血が降り注ぐように出てくるのを初めて見た時は、あまりにもぞっとして、夜ごとの恐怖感に苦しめられ、こりごりでした。よく眠れず、また眠り込んだとしてもぞっとするような悪夢を見ました。しかし銃殺場面もたびたび見てしまった今となっては、なんでもないです」

  連座制で一家族みな銃殺

公開銃殺の場合、連座制が適用され、一家族三世代が同時に死刑台の前に立つ場合がある。茂山から来たイ・ソンス君(16)の証言によれば、1998年1月8日、茂山在住のキム・ソンド(21)が、韓国の安全企画部により買収されたとして、キム・ソンド本人と父、母、親戚ひとりなど合計4人が同時に銃殺されたという。このように北朝鮮では、過去の朝鮮時代に逆賊を処罰する時、三世代を満遍なく滅ぼすことと同じ前近代的な方法が堂々と行われている。キム・ソンドは茂山で金正日党書記に反対して親韓国運動を起こそうとし、進んで清津の人々をも一緒に抱き込みかけたのだが、北朝鮮安全部に申告され捕えられたという。北朝鮮当局の判断により、重罪である思想犯の場合は家族もろとも銃殺し、そうでない場合は遺族を保衛部の監獄に送致する。北朝鮮の監獄は監獄という名ばかりの、死の収容所である。遺族は監獄のなかで食うに事欠いて、むちで打たれて結局は死んでいくのだ。たとえ銃殺されずとも、結果は同じなのである。

北脱出者らは93年頃、イ・インモ老人が北朝鮮に帰ってきた時、彼が韓国の監獄で30年以上閉じ込められていながらも死なずに生きていたことに対して、みな理解できなかったという。北朝鮮住民たちの常識では、監獄では5年以上を過ごすことは不可能で、みな死ぬであろうと考えているためだ。北朝鮮の人々は健康なイ・インモ老人を見て、韓国は監獄さえも住みやすいのならば、監獄の外側の社会はどれほど住みやすいのだろうか、と考えたという。監獄に入れられる人々の中には、北朝鮮の犯罪基準からみて無実である人々が多い。監獄で死んだ人々は山に掘られた小さな穴に埋められる。どこに埋められたのかわからないため、家族は遺体を見ることも、また墓に埋葬することもできない。チェ・キテ氏(25)によれば、保衛部の監獄はチョンソン郡トンボにもあり、会寧市チャムヒョ里にもあるという。

  牛を捕食したり機械の部品を取り出しても銃殺刑

会寧で軍生活を過ごしたキム・ソンチョル氏は96年以後、会寧でだけ20回以上の銃殺を目撃した。キム・ヨンジン氏(25)は清津で7回の公開銃殺を目撃し、ラナムで3回の銃殺を目撃した。最近でも銃殺は行われているものの、特に96年が最も頻繁だったという。イ・ヨンフン君は茂山で95、96、97年に10回ほどの公開銃殺刑を目撃した。チェ・キテ氏は会寧で13回の銃殺を目撃し、茂山で女性が火あぶりにされるのを目撃した。イ・ソンス君は茂山で三回、茂山のゴム山で行われた銃殺を目撃した。これを合計すると、95年以後、会寧で20回以上、茂山で10回以上、清津附近で10回以上の公開銃殺刑が執行されたということがわかる。もちろん、中には火あぶりも存在した。一回の銃殺執行で、多ければ9人、少なくとも4人が殺される。一度に平均5人ほどが銃殺されるとすれば、95年以後の会寧、茂山、清津一帯だけでも200名以上が公開銃殺(火あぶりを含む)されたということになる。

公開銃殺は最近でも継続されている。チェ・キテ氏の証言によれば、99年8月、会寧では6人が同時に銃殺された。牛17頭を盗んで捕食したという罪目だった。

銃殺は厳重な犯罪だけに執行されるわけではない。窃盗のような軽微な事件も銃殺刑となる。牛を捕食したり工場の銅を盗み出して売り飛ばした人、起重機などの付属品や金属を取り出し売り飛ばした人もすべて銃殺刑である。

その中で、真っ先に銃殺刑が確定するのは、中国に渡ってキリスト教徒や韓国人に会った場合である。このような時は思想が完全に変化したという理由から拷問を受けたのち、死刑が執行される。韓国人に会った場合、その韓国人の職業が実際にはなんであっても、死刑が執行される時には無条件で安全企画部の要員に会ったと発表されるらしい。

  ヌード写真を印刷して食費を稼いだ女性が火あぶり

チェ・キテ氏の別の衝撃的な証言によると、北朝鮮では火あぶり(火刑)が執行されるというのだ。北朝鮮での火あぶりの話はいままで韓国のメディアに報道されなかった事実である。中世ヨーロッパで一時、悪魔と見なされた人々に執行された火あぶりが、韓半島の北方で強行されているというのだ。99年10月、中国へやってきた軍人チェ・キテ氏は96年夏、咸北茂山で火あぶりが執行されるのを目撃した人だ。火あぶりは茂山市場で公開執行された。

当時、火あぶりに処された人は23才の女性であった。自分とお姉さんと二人でヌード写真を印刷し、中国で売ったという罪であった。彼女のお姉さんは中国のファリョンに住んでいるため、妹が姉に会おうと渡江している途中で軍人に捕まった。身体検査してみると、彼女とお姉さんのヌード写真が発見されたのである。この姉妹はヌード写真を刷っては食費を稼いできたということだった。北朝鮮はヌード写真に対しては、資本主義の黄色風(旋風)が入る、としてひどく警戒する。その結果として火あぶりにまで処するというのは、あまり残忍な処置である。

火あぶりはどのようにおこなうのか。ヌード写真を刷った女性はまず木に縛り付けられる。そして足元に薪を集めて火をつける。北朝鮮の安全部では、家族に火あぶりの執行を直接行わせる。この女性の場合にも、父と母が木を集めたあとで、父に火を付けさせたのである。火あぶりの執行ということさえ想像を絶するものであるにもかかわらず、家族を火あぶりにするとは、その家族の心情は果してどうであろうか。その女性は身体が炎に包まれた瞬間にも「私は死んでも、お姉さんは中国でお金たくさん稼いで、いい生活をするはずだ」と絶叫したという。

  人肉で食べ物を作った女主人も火あぶり

キム・ヨンジン氏も清津のスナムで目撃した火あぶりを証言した。95年8月、清津スナムで汁飯食堂を運営する女性が赤ん坊の肉で肉汁飯を作り、売っている途中で発覚した。その赤ん坊は母親が外地に食料を求めにでかける間、食堂に預けた子どもであった。

一週間ぶりに家に帰ってきた赤ん坊の母親は、息子がいなくなったという話を聞いて、周囲の人々をたずねまわった。その結果、ぞっとする行為があったのを知った。

食堂の主人はスナム橋のそばの空地で火あぶりにされた。茂山で火あぶりにされた女性のように、その女性の家族が直接火をつけた。その光景を目撃した人は数千名に達したという。

95年といえば、北朝鮮の飢餓が最も深刻な年であった。その頃、北朝鮮では人肉を食べるという噂が飛び交っていたのだが、キム・ヨンジン氏の証言を聞くと、それが単純な噂ではなく事実である可能性がかなり高い。キム氏もやはりその汁飯を人肉と知らずにおいしく食べたという。キム・ヨンジン氏によれば、その汁飯食堂は独特の味ゆえに、お客さんが多かったという。  

はらわたは腸詰、肉は汁飯

キム・ヨンジン氏が人肉証言を行うのと同様、チェ・キテ氏も97年4月に会寧市で人肉を売っている途中で発覚し、家族全員が銃殺された事件を証言した。この家族は食べるものがなく、家まで売り飛ばし、あげくの果てに赤ん坊をこっそりと殺した後、その肉を売り始めたのである。はらわたで腸詰を作り、肉で汁飯を作って売った。この家族が赤ん坊の肉を売り始めたのは95年10月からであった。彼らは1年以上も赤ん坊の肉を売っていたがゆえに、犧牲となった子ども達は少なくなかった。18才未満の未成年者の場合は死刑にはならないのだが、この家の息子と娘はその罪質があまり大きいとして、全員が処刑されたという。

中国で会った北脱出者を通じて確認した公開銃殺、火あぶり、人肉事件などはみな背筋が寒くなるような衝撃的な話である。ヒットラーはアウシュビッツ収容所にあるガス室でユダヤ人を集団虐殺し、クメール・ルージュは人の顔にビニール袋をかぶせて、毒ガスを注入し虐殺するという蛮行を行った。いま北朝鮮の金正日党書記は、人々を飢えで殺し、監獄で拷問や殴打で殺し、公開銃殺で殺し、あげくの果てに火あぶりにする。北脱出者は一様に、北朝鮮では常識では理解できない蛮行が行なわれている、と証言する。

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チャンネル25.

 今日も「森」は静かだったのですぐ桃園に移動した。西の端には夫婦の先客がいてパン屑らしきものを用意した袋から出して投げていた。彼らは相手は鳩でも雀でも良かったようでランダムに投げていた。私のように限定的にスズメ主体の給餌をしたかったらそれなりの作戦が必要である。私は彼らから離れた位置にいるスズメたちに向けて『コメ+雑穀』のブレンドを園外通路から播いてみたのだが、するとスズメばかりかハトまでもが大挙して押し寄せて来てスズメたちをどかしてしまった。今日は懸案の『ハトのエサ』1kgをついに開封して半分ほどを持って来ていたので、そこで鳩たちを少しでも先客さんの方に押し返してやろうと『ハトのエサ』を彼らのいる方向へ投げてやったのだが、その効果はあまりかんばしくなかった。
 ともあれそうやっておいてから、私は彼らとは少し離れたベンチに陣取って給餌を開始したのである。私にとっては鳩たちは『招かれざる客』であることに変わりはないが、スズメのいるところにはハトもいるし、スズメたちの食べるものはハトも貪欲に食べるので困る。パン屑やケーキ片、そして『コメ+雑穀』を雀に集中して播いているとハトたちは集団ヒステリー(?)を起こして邪魔なスズメどもを追い払おうとすることがある。
 一方『ハトのエサ』はハト限定の食材で、コーンも赤い小粒の実もスズメは食べないし寄り付きもしない。コーンはカラスもときにハトを押し退けて食べるが、スズメには粒が大き過ぎ硬くて食べられない。

 今日は食パンなしでコメブレンドと『柔らか卵のシフォンケーキ』そして『鳴門金時の蒸しパン』(玉出スーパーで百円)の3点セットで給餌した。鳴門金時はスズメさんたちには不評で、シフォンケーキのように熱狂して取り合うこともなく、「ハトちゃんに盗られてもいいや♪」みたいな冷淡な対応が目立った。
 食パンがなかったので、餌播きは1時間も立たずにほぼ完了した。昨日の今日だから私は今日はカラスを徹底して排斥した。「餌を取る振りをして襲う」というのは本当のことだったと思う。炭水化物ばかりではなく、動物性蛋白質やアミノ酸も欲しいのだろうか。カラスたちもしばし遠巻きに見守っていただけで、しつこく餌場に纏わりつくことはなかった。

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 ウィキペディア≪キビ≫によれば:

キビ(黍、稷、学名:Panicum miliaceum)は、イネ科の一年草で、穀物の1種である。日本では五穀の1つとされる。

インドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず、詳細は不明である。中国の華北地方では、アワとともに古代の主要穀物であった[1]。日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に中国から渡来したと考えられている。

生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。秋に花が咲き、黄色い実がなる。実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説である。実はアワより少し大きい。アワ同様、うるち種ともち種がある。実をそのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりする。

岡山県の吉備団子も、元々は黍団子の一種で、その名の通り黍粉を原料としていた。吉備と黍(キビ)の語呂合わせから吉備団子と書かれるようになった。現在では、黍粉を使わずに白玉粉などで作られることも多い。桃太郎伝説に登場するキビダンゴは黍で作られた団子であり、江戸時代末期になって登場した吉備団子ではない。

モロコシ(タカキビ)を「キビ」と呼ぶ地方では、こちらの作物を「コキビ」と呼ぶ。サトウキビを「キビ」と呼ぶ地方もある。

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チャンネル24.

昨日の写真:
①寝屋川べりに来たカラス。
②同じく。

③久しぶりに荷台に黒板をセットしてみた。

④同上。

⑤数的にはスズメちゃんたちは板にはあまり来なかった。

⑥同上。

⑦水を呑むカラス。

⑧横を向くカラス。バックは外堀。

⑨僅かのコメに殺到する鳩たち。

⑩足環のハトちゃん。w

⑪水場に来ている雀ちゃんだが、鳩が来るとどかされる。

⑫ハトがいてスズメがいて、遠巻きにカラスもいる光景。

⑬水場のハトとスズメ。

⑭遠くで待機するカラス。


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 今日は10:50には「おもいでの森」に到着したが石畳にハトはいないし辺りは静まり返っていたので、向かい側の桃園の西の端にすぐ移動した。
 そこも最初は「音なしの構え」で静かだったが、挨拶代わりに餌をパラパラ播いてみるとスズメちゃんばかりが殺到して「これはいい!」と思ったが、すぐにハトの大群が押し寄せ、続いてカラスたちもやって来た。結果いつもと同じになってしまった。 
 11:45.餌も大方は播き終わり、桃園は終了するつもりでいたが、水場用のトレイのセットが汚れたためそれらを洗って戻って来てから気が変わって、もう一度桃園の以前播いていた真ん中辺の椅子で店を開いた。あとは寝屋川べり用に少しだけ残しておけばいいので、私はすぐ終わらせるつもりで安易な播き方をした。そこに油断があった。

 ハトたちが蝟集する私のすぐそばまで1羽のカラスがやって来た。そんなことをするのは昨日水を5回も飲みに来たカラスしかいないと思って、私はカラスには小さ過ぎるカステラ片を彼に与え、続いて彼とは少し離れた場所に同じような大きさのカステラを投げた。するとカラスはそれをも食べるつもりで餌に寄って行ったのである。ハトたちもスズメたちもみんな逃げたのだが、1羽のハトだけは(カラスの接近に気付かなかったのかも知れないが)カラスを無視して餌を食べた。カラスは突如牙を剝いて猛然と背後からそのハトに襲い掛かった。ハトは翼の一部を喰いちぎられてしまった。

 カラスにハトを食べる気はなかったと思うのだが、私の目の前でハトが襲われたことに変わりはない。私の怖れていたことが起こってしまったのである。私は即座に「カア!」と大声を出してカラスを追い払った。カラスは道路の反対側の「おもいでの森」方面に逃げ去った。私が追わなかったらハトはそのまま食べられてしまったかどうか、それはわからないが、いずれにせよ翼の一部を一瞬にして失ったハトは今後単に飛ぶだけのことにも不自由するだろう。 

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 寝屋川べりではポイントに拘らず私はあちこちでスズメたちに餌を播いている。大阪城公園で余った食パンとかケーキとかコメ類である。スズメさんたちの反応はまちまちで、彼らが逡巡していると、コメなどはみんなハトたちに食べられてしまう。まだ私を信用していないスズメ様が多いのである。

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 ここと概ね同じ内容のブログ「スズメ天国ってか♪」をここと同じ日に「はてな」に立ち上げた。(但し向こうはカウンターの設置が遅かったので数値はまだ低い。)記事推敲の過程で両者の内容が大きく異なってしまうこともあるが、大体は同じである。w

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*カラスと言えば「大都会のスカベンジャー(清掃人=屍肉処理班)」だそうだが、スカベンジャーで検索したら「フィリピン:暮らしを立てるスカベンジャー」という写真記事が出て来た。こちらは「スモーキーマウンテン」という有名なゴミの集積所でゴミを拾って生計を立てている人々の話である。彼らの収入は一般農家と同じくらいあるとのことである。

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チャンネル23.

 今朝のテレビでは、「9/9(日)頃迄で猛暑が和らぐ」というのは中部以北の話であって、西日本は来週も猛暑が続くのだそうだ。「そんな話聞いてないよ!」である。
 というわけで、今日は10時半に「おもいでの森」に到着した。昨日のカラスだと思うが今日も一番に水場に来て水を飲み、最後迄に都合5回ほど足繁く通って水を飲んで行った。但し、彼がトレイの水場にいたのではこちらが迷惑することが充分にわかっている様子で、毎回ちょっと飲んでは逃げるようにさっさと引き返して行ったのである。彼1羽が来れば鳩たちはみんな水場から逃げ去る。

 今日は桃園で餌蒔きしている人はいなかったにも関わらず雀ちゃんの来客は少なかった。カラスの来訪もいつもより少なかった。カラスはスズメさんたちのピーチクパーチク騒がしい鳴き声に釣られてこちらに来ているのかも知れないと思った。一般にはカラスも穀物類は1粒1粒ついばむそうだが、私のところではその仕事はハトとスズメに任せっ放しで、私がパンやケーキの塊を投げたときにしか食指が動かないようである。

 カラスもスズメも少なくて、鳩たちばかりが目立った一ときだった。「足環ちゃん」には今日も御馳走したが、コメを蒔いても舞い降りるスズメちゃんが少ないので拍子抜けし、1時間ほどでそこを切り上げた。それから「内堀」に登ってみたがカラスと不法釣り人と観光客しかいなかった。鳩も雀も全然見掛けなかった。

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雑穀米の栽培・害鳥対策

 雑穀の栽培にも、気をつけなくてはいけない点がたくさんあります。

作物の栽培では病虫害がしばしば大きな被害をもたらしますが、雑穀の栽培においては病虫害よりもむしろ害鳥対策が重要となります。

実は雑穀には、収穫量に影響を及ぼすような深刻な病虫害はあまりなく、反面、雑穀を好む鳥類からの被害が悩みの種となっています。

ペットショップなどで、小鳥のえさとして雑穀類が売っているのを見たことがある人は多いでしょう。

雑穀類はスズメやヒワなどの小鳥の大好物です。何の対策もせずにいると、大群で押し寄せ、あっという間に畑の雑穀は全滅してしまいます。

この害鳥をどのようにして防ぐかが、雑穀栽培の中でも重要な事柄となっています。代表的な対策としては、防鳥ネットがあります。これで畑を覆うことで、鳥から雑穀を守ることができます。

しかし、中小規模の畑ならともかく、規模の大きい畑をネットですっぽり覆うのはなかなか難しいことです。

そこで有効なのが、皆さんも目にしたことがある各種グッズです。黄色地に黒と赤の目玉模様が描いてある目玉風船、太陽光を反射させて鳥を撃退する反射テープ、そしてもっともポピュラーな防鳥グッズであるかかしなどです。

特に古くからあるかかしの効果は大きなものがあります。風船やテープなどはやがて鳥が慣れてしまうため、1週間ほどしか効果が持続しません。反面、かかしは長期間鳥を退けることができます。

古代人と雑穀

そもそも、雑穀と人類のかかわりはどのようにして始まったのでしょうか?

人類が農耕技術を手に入れたのは、紀元前1万年前だと言われています。

危険の伴う狩猟生活から確実、安全に食料を手に入れることができる農耕生活に移行したことで、人類は文明を拡大しておきました。

農耕は人々の経済力の要ともなってきました。

当時は米よりも雑穀の方が広く普及していました。主食となっていたのは、イネやコムギ、イモ類で、これらは土壌や水利などの周囲の環境への適応性が高いことから世界中に広まっていきました。

雑穀の種類は国によってそれぞれ違い、熱帯地域では乾燥に強い種類が多く、寒冷地域では寒さに強い種類が栽培されていました。

日本の代表的な雑穀といえばヒエですが、これは中国や日本が起源であるといわれています。全国各地の縄文時代の遺跡からは、ヒエの栽培の痕跡が見つかっていますし、ヒエが混じった土器のかけらなども出土しています。

さらに縄文時代中期の遺跡からは、エゴマやシソも見つかっているので、狩猟で手に入れた肉や魚とともに雑穀を食べることで、縄文人たちは意外にも多様な食生活を送っていたものだと考えられています。 

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 ↑ ≪スズメの『益鳥』としての役割≫については私も疑問を感じている点がある。
≪仮借なき『農薬農業』≫が国中に蔓延している我が国にあって、農家にとってスズメは『害鳥』でしかないのではないか。それでスズメたちは年間100万羽~130万羽も捕獲されている現状がある。

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チャンネル22.



 ↑ 上の写真の説明。

 上から→①②ムクドリ♀2枚。③④足環の鳩の後姿2枚。(この子は後で何回も私の腰掛ける岩まで乗って来たからその都度特別待遇でエサをあげた。w)⑤水場の鳩。⑥呼んでもいないのに乗って来た鳩。←鳩は少しでも甘やかすと私の足や手に乗って来るし、自転車の荷台にも乗るしで、はっきり言ってとても邪魔なのだが・・。⑦その下は引き上げる『雀のおばさん』の後ろ姿。正面の写真は恥ずかしいと言うので後姿になった。⑧岩場の上の「ふくら雀(?)」。⑨⑩石畳でエサを待つ雀と鳩2枚。

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 今日は10:15の開始を待たず、水場用のトレイを並べている段階で頭の禿げ上がった「いかつい顔」の貫録充分な「カラスの親分(?)」がトレイのすぐそばまで来て、私が給水するや「いの一番」で水面に首を傾け入れ、コクコクコクと少しだけ水を飲んで去って行った。水が欲しかったというよりは「俺はこうして水だって自由に飲めるんだぞ」と周囲に誇示するのが狙いだったように私には思われた。  
 私がカラスたちを甘やかし過ぎた結果だろうか、彼に限らず今日のカラスたちは皆態度がでかく、鳩や雀たちに投げた小さなエサまで奪いに来ることが何回かあった。一度など雀たちがコメをついばんでいるど真ん中にカラスが突っ込んで来て何かを咥えたので一瞬「やられた!」と思ったが、咥えたのはパンの欠片だったことがわかってホッと一安心した。雀も鳩も、私がカラスにまで何度も大きなエサを投げ与えているのを見て、安心し切って(?)自分の食餌に集中している様子なので、これは考えてみるととても怖いことである。苛めても仕返しされる、「最恵国待遇」しても危険だ、ということであるから、私の「カラス対策」はまだまだ改良の余地があるようだ。

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チャンネル21.



 今日の写真の上の3枚は寝屋川の石段で私が餌蒔きしている対象の雀たち。ここは多くても15羽くらいしか来ない。写真は私が蒔いた「コメ+雑穀」を食べている様子である。最初のとっかかりに私はパンまたはケーキの欠片を投げ、彼らは飛びついて来るのだが、米を蒔いた後パン系を投げても反応が鈍く、今日などはムクドリ1羽が何度も来て、彼女に5~6個は持って行かれた。
 次の2枚はそのムクドリ♀の写真である。羽毛全体が灰色がかっているから♀なのだ。
 一番下の写真には左端に「待機姿勢」のカラスが写っている。場所は「おもいでの森」だ。

  今日は最近にしては早めに出掛け、9時30分には「おもいでの森」に着いたが、そこには先客がいた。なんと久方ぶりの『スズメのおばさん』である。
 考えてみると彼女が蒔く時間を変えたというよりは、私の『出勤』が遅くなって来たようである。彼女はこの間天守閣方面にも行っていたと言う。彼女のスタイルは、自宅で食パンを細かく刻んで用意し、それを少量ずつ投げたり手渡ししたりするのである。
「私は鳩には餌をやらない」と今日も言っていた。「鳩は急襲するときスズメの足を狙って来る。だから骨折して足をブラブラさせている雀が大勢いる」と言うのだ。確かに体長で自分の3倍はあろうかというハトにまともに乗っかられたら無事では済まないだろう。だからスズメたちは鳩が接近するとまず逃げるのである。
 この方も餌遣り歴は長く、ハトやスズメが目の前でカラスに食べられるのを何度も現認しているそうだ。そして私のようにハトにもカラスにも餌遣りするような節操のないアッパラパーではない、「断固スズメ派」の方である。w


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チャンネル20.

 今日は11時頃「おもいでの森」碑前に着いたが、見た目、あたりには鳩も雀も一羽もいなかった。それで試しにパンを一片石畳に投げかけてみたが、誰一羽として舞い降りて来るスズメはいなかった。ハトもである。これはおかしいと思って、道路の反対側の桃園を見ると、ちょうど誰かが餌蒔きを終えて帰る途中だった。彼は一瞬私を見止めて何か言いたそうな素振りをしたので、私は《パチプロのおっさん》ではないかと思ったが、自信はなかったので声はかけなかった。
 お客さんがゼロでは話にならないので、ちょうど曇っていたし、私は《水場》のセッティングは中止して、今日の餌蒔きは久方ぶりの桃園で行なうことにした。桃園にもスズメちゃんたちがいないとしたら、もうこの辺りにはスズメちゃんが不在だということになるから、餌播きの場所を大幅に変更~移動するしかないのであった。

 案の定スズメ様たちは皆ちゃっかりと桃園にいた。チュンチュン騒がしかったからすぐにわかった。オッチャンは「そっちにはスズメはおらへんで。みんなこっちに来てるで♪」と私に伝えたかったのではないだろうか。それにしてもスズメたちを根こそぎ呼び込んでしまうだけの力量は私には彼以外には考えられない。彼の主たる餌は「くず米と小鳥のエサ」のミックスである。私はそれを学んで今採用しているのだ。尤も彼はなぜか私には「あんたは食パンでいい。w」とも言ったのだった。

 コーナンの『小鳥のエサ』というのは主成分は『稗・ヒエ』と『粟・アワ』で、どちらも宮中の新嘗祭の行事には必須の食材である。両方とも昔(というか昭和以前)は人間の主食の一部だったし、今でも中国や北朝鮮では日常的に食べられているという。私は『五穀米の素』(←これを炊飯する直前の米に混ぜて炊けば簡単に『五穀米』が炊けるというセットである。)というのを買ってあるが、もちろんその中にはヒエ・アワがたくさん入っている。我々は普段「やれ全粒の真っ白い精米だ、無洗米だ」と大層有難がっているが、そんなものは栄養価の低い『残り滓』のようなもので、玄米やヒエ・アワの方がビタミン類も豊富で遥かに栄養価が高いと言う人もたくさんいるのだ。

cf.五穀
cf.五穀米の画像

 ともあれお客さんさえいれば、あとはやることはいつも同じである。私が餌を投げ彼らが追う。スズメもハトもカラスもである。雀ちゃんたちと私の息が合わないとすぐ鳩に取られてしまう。昨日カラスの中に2羽だけハシボソがいた。今日も1羽ハシボソがいた。おでこが出っ張っていないし、ホッピングをせず歩くのでわかる。ここいら付近のカラスの大半はハシブトだが、シェアというか棲み分けは一体どうなっているのだろうか。共生しているのだろうか。少なくともハシボソは駆逐されてはいないのだ。
 桃園のカラスは(以前私に毎日苛められた記憶がまだあるのか)森側と同一のカラスかも知れないがやや遠慮がちで、私の近くには全く寄って来ない。だから彼らに大きめのエサを投げ与えるのに私は苦労する。食パンの大玉を投げてもカラスにまでは届かず、突っ込んでいいものかどうか躊躇うカラスを尻目に、ハトたちが堂々と奪ってしまうことも何度かあった。笑。

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チャンネル19.

 本日もスズメちゃんたちは大勢来た。カラスも遠巻きにだが多数来た。彼らには行く途中で仕入れた7-11の「一口カステラ」(100円)というのを適宜与えた。これは私は1個だけ初めて食べたが香りも良くおいしかった。ただ玉出の「野菜カステラ」に比べて小粒で量も少なかったから、カラスには贅沢過ぎるのではないかと思ったりした。

 餌場では私の周りには不本意ながら鳩たちが蝟集する。私の主賓たる雀ちゃんたちは(鳩にどかされて)どうしても彼らの外回りになるか樹上である。その更に外側にはカラスが三々五々(という程多くはないが)待機するという構図である。
 カラスは「仕返しをする」というくらいだからプライドが高いのだろう。彼らにあげる餌は従って極力大きめの塊にする。そうしておけば、鳩や雀に向けた小粒の餌などを横取りすることもないだろうというのが私の読みである。この私の狙いが当たったのかどうか、カラスは鳩・雀におちょっかいは出さず、今日の餌蒔きもなんとか無事終了した。

 ところで童話《舌切り雀》ではお爺さんはスズメのお宿からの帰り際、「お土産あげるけど、大きい葛篭(つづら)と小さい葛篭のどっちがいい?」と問われて迷わず「小さい方がいい」と答えるのだが、私の経験では、サドルや荷台の黒板に大きいカステラと小さいカステラの両方を並べて置くと、スズメちゃんたちはみんな失敗した意地悪婆さんばりの強欲で、例外なく大きい方のカステラを選んで運び去るのであった。w

 足環の美人?鳩ちゃんは私に贔屓されているのがわかったのか、今日は初めて私が腰掛けている石材まで乗ってきた。やった。でも彼女?にあげたカステラ片は他の鳩に獲られてしまった。残念。

cf.鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律
 これがいわゆる「鳥獣保護法」で、我々は許可なく野生生物を捕獲したり殺傷したりすることは禁止されている。だが密猟者は後を絶たない。

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NPO法人ネットワーク地球村には以下のような記事がある。 ↓

5分でわかる食糧問題

飢餓の現状
飢餓が原因で1日に4~5万人(1年間に1500万人以上)の人が亡くなっており、そのうち7割以上が子どもたちです。

世界中には食べ物が足りないの?
「飢餓」になるのは、食糧が十分につくられていないからではありません。穀物は年間 23億トン生産されています。これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になります。

23億トン (年間穀物生産量) ÷ 70億人 (世界の人口)
⇒  328kg (1人当たり)
※1人当たり1年間の標準量は  180kg

それでも食べ物の不足している人がいるのは、どうしてでしょうか?

たくさんの穀物はどこへ
1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 33%も多く、ソマリアでは16%不足しています。
私たちのように食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。

穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。
牛肉1キロ作るために穀物8キロ、豚肉1キロ作るために穀物4キロ、鶏肉1キロ作るために穀物2キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。

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↓ 以下はFOOD FIRSTからの引用です。

世界飢餓にまつわる12の神話
<原文>
12 Myths About Hunger
Institute for Food and Development Policy Backgrounder Summer 1998, Vol.5, No. 3
http://www.foodfirst.org/pubs/backgrdrs/1998/s98v5n3.html

飢餓は神話ではなく現実だ。しかし神話が飢餓を温存させている。
今日少なくとも7億人が食糧不足に苦しみ、毎年1,200万人の子どもが死亡している。
なぜ、飢餓はなくならないのか? 私たちはどうすれば良いのだろうか?

この問いに答えるためには、まず今まで飢餓について教えられてきた固定概念を白紙に戻すことだ。根強くはびこる「神話」から自らを解放して初めて飢餓問題の本当の原因を理解することができる。そこから初めて飢餓問題の解決に取り組むことができるのだから。

神話その1
膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。
事実
インドでは、2億人の国民がお腹をすかせていたとき、6.25億ドル分の小麦・小麦粉と13億ドル分の米が輸出されていた(1995年)。
典型的な飢餓地域のバングラデシュでは、国民全員に2,000カロリーを供給して充分な量の米が生産されている。野菜・果物・豆類など他の食品を加えると、全国民を余裕を持って養うことができる量の食糧が生産されている。また肥沃な沖積土と水資源に恵まれたバングラデシュでは米だけで2倍も3倍も収穫量を増やす可能性があると推測されている。
ブラジルでは、7,000万人の国民が充分食べられなかったときに、130億ドル分の食糧が輸出された(1994年)。
アフリカでは、2億1,300万人が飢えるサハラ地方の国々が盛んに食糧を輸出している。1960年代末から70年代初頭に西アフリカ諸国が史上最悪の干ばつに襲われたときも、12.5億ドルもの食糧が輸出され続けた。1982~85年の干ばつのときもこれらの国からの食糧輸出は続いた。
先進国のアメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカの子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府と農家は過剰生産に頭を痛め、1995年にアメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外に輸送するのを援助している。

世界の食糧供給事情は「過剰」の一言につきる。今日の世界では小麦や米などの穀類だけで全人口に毎日3,500カロリーを提供できる量が生産されている。野菜や豆、ナッツ、根菜、果物、草食の家畜肉、魚など他の食品も加えると、一人当たりに毎日4.3ポンド(約1.95キログラム)の食べ物がある。穀物と豆とナッツが2.5ポンド(1,133グラム)、果物と野菜が1ポンド(453グラム)、肉と牛乳と卵も1ポンド(453グラム)ぐらい。毎日食べていると太ってしまうほどの量だ。問題は多くの人があまりにも貧しくて、食べ物が目の前にあるのに買うことができないこと。世界で一番「餓えた」国にも国民全員が満腹になるだけの食糧がある。それでも飢餓が続き、餓えた国々から食糧や他の農産物が輸出されている。

飢餓は現実に存在する。しかし、食糧は不足していない。
(Hunger is real; scarcity is not.)

神話その2
干ばつや凶作が飢饉を引き起こす。自然災害のせいだ。

事実
「この村でも大勢が餓死したわ。裕福な農民たちは米を買い占めて、貧しい小作人たちに見せないよう隠していた。洪水のためそれほどたくさんの食糧がなかったのかもしれないけれど、あの時、食べ物がみんなに分けられていたら飢えで死ぬ人は一人もいなかったと思うわ」1974年の大飢饉後にバングラデシュの小作人が語った言葉。

凶作の年はしばしば裕福な農民や商人が食糧を買い占め値段をつり上げる。目の前に食糧があっても、貧しい人たちは食べ物を買うお金がない。借金に追われる零細農民や小作人たちは最安値で収穫物を全部を買いたたかれ、土地も買いたたかれ、生活の糧そのものを失ってしまう。

1982年から85年に「干ばつに襲われ」多くの人々が餓死したとき、サヘル諸国の多くは農作物の輸出を増加させていた。干ばつの年1984年に記録的な量の綿花がこれらの国から輸出された。エチオピアでは長年の軍備強化と内戦が海外債務を増やし(政府は食糧生産より輸出作物に肥沃な農地と水資源を優先させ)、多くの若者が農地を耕す代わりに軍隊にとられ、ゲリラへの協力を疑われた住民が数十万人も自らの農地を離れ他所へ強制移住させられた。1980年代始めに干ばつを経験したサハラアフリカ地方の31諸国のうち、飢饉に襲われ人々が餓死したのはモザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアの5ヶ国のみだった。

だれが食糧購入の手段を持っているのか?お金がないかぎり、市場に食糧があっても貧しい人たちは食べ物を手に入れることができない。
だれが恒常的に生存境界線ぎりぎりに追いやられているのか? 凶作は普段から搾取され栄養が不足がちの貧しい人たちに死をもたらし、豊かな人たちに金儲けのチャンスをもたらす。
農業システムの崩壊が干ばつの被害を拡大している。古来人々は干ばつや洪水の年にも被害を最小限におさえるための技術と知恵を培ってきていた。しかしこれらの伝統的な技術と知恵はしばしば無視され「近代的」農業技術が自然災害へのもろさの度合いを増している。
だれが、だれに対して「食糧不足」を戦略的に使うのか? 食糧はしばしば戦争の武器として使われ、結果として餓死が作り出される。
気まぐれな自然現象に責任を押しつけるのは簡単だ。だけど人為的な要素が大勢の人をちょっとした天候の変化にも大被害を受けるようなもろい状況に押しやっている。どんな自然災害があっても、お金のある人には食べ物がある。危機の時に飢え死にするのは貧しい人たちだけだ。数百万人もの人たちがアジアやアフリカで生存ギリギリの境界線に陥れられている。金持ちに土地を取り上げられ、借金の罠にはめられ、働いても二束三文の賃金しかもらえないからだ。自然現象が人を餓死させるのではない。自然現象は崖っぷちに追いやられている人たちへの最後の一押しだけだ。人間が作った組織や政府が、どの人が食べてどの人が飢え死にするのかを決めている。アメリカで冬にホームレスの人たちが寒さで命を落とすからといって、自然現象の責任にする人はいないだろう。人間が作った社会や経済が真犯人なのだから。

神話その3
世界人口が多すぎる。だから人口抑圧政策を進めなくてはならない。

事実
国連は2050年に世界人口が93.7億に達し、その後は減少すると推測している。多くの専門家は、地球上にはこれだけの人口を養うだけに充分な資源があると推測している。

しかも世界中で人口増加率はすでに減速している。一人の女性が生む子供の数はヨーロッパや北アメリカ諸国で1955年にピークに達した後、急激に減少した。アジアやラテンアメリカ諸国では、1950年に6人だったのが、1995年には3人以下に減少している。アフリカ諸国では、60年代始めに6.75人でピークに達した後減少を続け、1995年には5.7人まで減った。世界人口の増加率は減速しており、増加が止まる日が来るのもそう先の話ではない。

人口密度が高い地域ほど飢餓が多いという比例関係は成立しない。韓国は国民一人当たりの農耕地面積がバングラデシュの半分以下しかないが、だからといって韓国の人たちが人口過密のために飢えているわけではない。中央アメリカでもコスタリカの国民一人当たり農耕地面積はホンジュラスの半分しかないが、栄養状態を計る指数の一つである平均寿命は11年も長い。

1994年にイエール大学が行った調査は、女性への教育普及が将来の出生率減少の最重要指数だと明らかにした。避妊などの教育ではなく、社会や家庭における女性の地位向上が子供の数を減らす大きな要因となっている。

貧しい家庭は、生活の糧を稼ぐ労働力が必要だから、乳幼児の死亡率が高いから、将来の保障が子供以外になにもないから数多くの子供を産む。問題の根元を解決しないまま避妊技術などだけで無理に出生率を下げようとすると、より大きな生存の危機に脅かされた人たちが取り残されてしまう。逆に、土地や仕事、食糧、教育、医療設備が整えば、生まれる子供たちの数は自然に減少する。

神話その4
飢える人たちのために食糧生産を増やすと環境を破壊してしまう。

真実
世界中で進む環境破壊が食糧生産のための資源を脅かしていることは確かだが、その逆は必ずしも真ではない。森林破壊の主な原因は大企業にあり、季節はずれやエキゾチックな野菜と果物、または熱帯の木材で先進国消費者を魅惑し、その需要を受けて企業や大地主が途上国で大儲けをしている。途上国で使用される農薬の大部分は輸出用作物を育てるために散布され、地元の貧しい人々の食糧生産に使われているのではない。先進国でも農薬は主に見かけの綺麗な作物に仕上げるために使われている。

森林破壊
アマゾン川流域の森林破壊の8割は企業や大農場経営者が輸出用の牧場や大豆畑のために切り開いたものと調査結果は示している。

インドネシアの森林火災を招いたのは誰か? アメリカのMother Jones誌は衛星写真により火災を引き起こした176箇所の材木やプランテーション企業の居留地を指摘した。カナダのGlobe and Mail誌によると「森や雑木林は伐採権に投資したりパーム油やゴムのプランテーションを開拓したい大企業に与えられた。森を切り開くために企業はブルドーザーを使うなど他の手段が困難な場合に限り『管理された火災』を引き起こすことを許可されていた。(インドネシア)政府は火災は最後の手段と言っていたが、実際は多くの企業が最初の手段として使っていた。一番コストがかからない手法だからである」

マレーシアの環境技術開発センターによると小さな農民が火を付けるのは1~2割でしかない。

農薬
アメリカで使用される農薬の約25%がゴルフ場や公園、芝生、庭、学校など農業以外の所で使われている。

農薬の販売が始まった40年代末から今日まで、農薬の量と毒性は10倍以上に膨れ上がったのに対し、害虫による農作物の損害は倍増している。

散布された農薬のうち、目的の害虫まで届くのは0.1%でしかない。残りの農薬は環境に入り込み、土・水・大気を汚染する。

一分間ごとに6人が農薬中毒にかかり、毎年22万人が農薬のため死亡していると推測されている。

伝統的な農法や有機農法など持続的な農業の方が貧しい人々に食糧を確保することで注目されている。実際、自然環境に適合した持続可能な農法の方が自然を破壊する近代大規模農業より生産的なことは数々の調査で実証されている。

神話その5
「緑の革命」が飢餓問題の解決策だ

事実
新しい種の開発で穀物の収穫は確かに増えた。しかし増加した食糧と富を手にしたのは経済力を持った少数という構造は変わらなかった。そのため「緑の革命」の成功例であるインドやメキシコ、フィリピンなどでは穀物生産量と穀物の輸出量は増加したけれど飢餓人口は減らず、むしろ貧しい人々が食べる食糧を栽培する農地が奪われてしまった。

農地が商品と同じように売買され少数による農地の集中所有が許される限り、収穫の増加は家族のための農地を略奪し、より多くの人々が生活の糧を失ってしまう。

弱い立場にある農民が農薬購入や作物売却のときに価格交渉する力がなければ、農業による収益がますます減ってしまう。

新しい技術が土壌の劣化と病害虫の被害を増加させると、食糧生産の資源そのものが脅かされ、収穫を確保することはますますコスト高になり困難になる。

現在、バイオ技術による「新しい緑の革命」が推奨されているが、これ以上貧富の差が拡大することを防ぐために、我々は断固として反対しなければならない。

神話その6
生産効率を上げるために農業の大規模化を進めるべきだ

事実
好条件の農耕地を占拠している大地主はしばしば農地の大部分を無駄に放置している。不公平な農地政策は、貴重な農地の大部分を最も不効率な生産者の手にゆだねている。逆に小さな農民たちは限られた土地を効率的に使い、複雑に組み合わされた持続的な総合農法により、エーカーあたり4~5倍の生産高を上げることができる。ただ農民による土地の所有や借地契約が確保されていなければ、第三世界の小作農たちは農地への投資をしようとはしない。農地の生産性を保つためには輪作をしたり休ませたりすることが大切とは知っていても、その土地が何時でも取り上げられる状態では土を肥やして生産性を上げる努力はできない。

土地の再分配が食糧生産を増大させた例は、日本やジンバブエ、台湾などで見られ、世界銀行はブラジル北東部で農地を小農民に分配すれば生産を8割増加することが出来ると推測している。

神話その7
自由市場が飢餓を終えることができる

事実

残念ながら「市場は善、国家は悪」という構図に凝り固まっている限り、飢餓問題の本当の原因を把握することはできない。そんな独断的な態度はまるで社会が市場か国家か二者択一できるかのような誤解を与えてしまう。実際、世界中の経済システムは多かれ少なかれ市場と政府の両方を組み合わせて資源配分と物資流通を行っている。市場のすばらしい効率性が飢餓削減のために機能するためには、すべての人が平等に食糧の購買力(お金)を持つことが絶対条件だ。

だから市場を尊重し飢餓問題を緩和したいと考えるならば、市場を強化するのではなく、貧しい人たちが市場から食べ物を買えるように消費者を強化するべきだ。富を分散して貧しい人たちに購買力を付けるためには、政府による税制改革や融資、農地改革などの政策が絶対的な役割を担う。近年の民営化や規制緩和が答ではない。

神話その8
自由貿易が解決策だ

事実
貿易振興による飢餓緩和の夢は惨敗した。第三世界のほとんどにおいて輸出が増加したとき、飢餓は減らず、むしろ悪化した。例えばブラジルが大豆の輸出を急激に伸ばし日本やヨーロッパに家畜飼料を供給していたとき、ブラジル国内の飢餓人口は3分の1から3分の2に増加した。多数の自国民が国内で生産した食糧を買うお金がないほど貧しい状況で、農業生産資源を握る裕福層は当然ながらもっと豊かな海外市場に向けて輸出作物の栽培に主力を注ぐようになる。輸出用作物の生産拡大により、住民の食糧生産は縮小される。NAFTAやGATT(現在ではWTO)などの貿易振興政策は、世界中で最低の賃金・最悪の労働条件・最低の環境基準の競争をしかけ、労働者たちに国境を越えた「奈落の底へのせめぎ合い」を強制する。メキシコとアメリカにその一例が見られるだろう。NAFTA以来アメリカでは25万人、メキシコでは200万人が職を失い、両国において飢餓人口は増え続けている。

神話その9
餓えた人たちは貧弱すぎて権利のために戦えない

事実

貧しい人たちは餓えて衰弱しているとのイメージが一人歩きして、私たちは明白な事実を忘れがちだ。略奪された人たちは生存のために全力を尽くさなければならない。もし貧しい人たちが本当に消極的だったら、ずっと以前に死に絶えてしまっていたに違いない。世界中でメキシコのチアパス州からインドの農民運動まで、不当に人々が虐げられている地域では現状を打開しようと人々が動き始めている。内外からの束縛さえなければ第三世界の農民たちは自らの食糧を生産することができる。私たちが「助けてあげる」必要はない。私たちの役目は、大企業や政府、世界銀行やIMFなどの重圧を人々から取り除くことだ。

神話その10
先進国からの援助を増やすべきだ

事実

アメリカや日本からの援助は大部分が飢餓を悪化させている。海外援助は現状を変えることなく、むしろ強化している。政府がエリート層しか相手にしていない状況で、援助は飢餓人口に届かないだけでなく、逆に彼らを貧困に追い込んでいる勢力を強化する。援助は自由貿易や自由市場政策を振興したり、食糧生産を犠牲にした輸出を促進したり、抑圧的な政府が政権に留まるための武器を購入したりするために使われる。緊急援助や人道的な援助でも(それらは全体の5%しかないけれど)、飢えた人たちに食糧が届かないままアメリカの穀物企業が儲けるだけで終わることが多い。しかも受入国の食糧生産を破壊してしまう危険性が強い。

海外援助より、その予算で第三世界の債務を無条件帳消しした方がよっぽど役に立つだろう。外国債務が第三世界の人々から基本的な福祉や教育や救済プログラムを奪っているのだから。

神話その11
彼らの貧困の恩恵を私たちは受けている(だからこの生活を維持するために彼らの貧困が必要だ)

事実

大多数のアメリカ人の安泰した生活を脅かしているのは、貧困層が豊かになることではなく、貧困層の略奪が続くことだ。国内外の低賃金によって先進国のバナナやシャツ、コンピュータ、ファーストフードなどの値段が安く押さえられているように見えるが、私たちは別のところで飢餓と貧困のために大きな出費を払わされている。第三世界で貧困が悪化すれば企業は安い労働力を求めて海外に向かうため、先進国の雇用や賃金レベルや労働条件が脅かされる。グローバル経済の中で、先進国の労働者が雇用と賃金レベルと労働条件を守るために闘ってきた成果は、世界中の労働者が経済的な絶望から解放されて初めて保護されるものだ。

先進国では福祉改革のような政策が必要以上の頭数の労働者を「雇用されている」状態に持ち込んだが、実際「福祉的な雇用」では最低賃金基準より低いレベルで労働が提供されるため、その上の雇用層における賃金を引き下げる圧力になっている。パート仕事やフルタイムでも低賃金の仕事しかないため、職に就いているのに貧しくて満足な食事や住居を手に入れられない人たちが増えている。豊かに暮らしている自分たちと国内外の貧しい人たちに共通する利益について理解すれば、第三世界の貧困問題に哀れみではなく同情心を持って取り組むことができる。貧困層を押さえつける経済的抑圧を取り除く努力をすることは、同時に私たちをも解放することなのだから。

神話その12
飢餓を終えるためには自由を制限することが必要だ

事実

「自由」が市民的自由を意味する限り、自由の獲得は理論的にも実際的にも飢餓の緩和と両立する。世の中を見渡しても飢餓と市民的自由の間にはなんの相互関係も見られない。ただし「自由」というのが富を生み出す財産を無制限に蓄積しその財産を好きなように使う自由という狭義の意味ならば、飢餓を終えることは妨害になる。

すべての国民に経済的な安泰をという国の基本的なビジョンに一致する定義の方が私たちの自由(リバティ)を保証する。このような自由の理解が飢餓を終えるために必要だ。

Institute for Food and Development Policy Backgrounder
Summer 1998, Vol.5, No. 3

★訳注 この文章はに掲載されている「12 Myths About Hunger」の訳に『World Hunger: 12 Myths, 2nd Edition』by Frances Moore Lappe, Joseph Collins and Peter Rosset, with Luis Esparza (fully revised and updated, Grove/Atlantic and Food First Books, Oct. 1998) からの要約を平賀緑が加筆して作成したものです。

同書の前版『世界飢餓の構造 いま世界に食糧が不足しているか』(フランセス・ムア・ラッペ、ジョセフ・コリンズ著 鶴見宗之介訳)は日本語訳が三一書房より1988年に出版されています。

Food First 日本語サイト文責 平賀緑
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チャンネル18.

*昨日久しぶりに休んだら一気に疲れが出たような気がして、今日は出発を大幅に遅らせ、NHK教育テレビの将棋対局を見てから出掛けた。「おもいでの森」に着いたのは2時半頃だったと思う。
 今日はおとついより雀さんたちの来客は多く、カラスも7~8羽くらい来た。彼らには「カニパン」(105円)というのを大きく千切って与えたので、雀や鳩向けの小粒の餌を強奪する素振りすら見せなかった。ただ、あまりに連続して与え過ぎて、そのまま居着かれても迷惑なので、それぞれに適当に与えた後は給餌を止めて「お引き取り」願うのである。今日もこの作戦は成功した。(私の印象ではカラスとムクドリはハトやスズメほど「もっと、もっと!」と餌の追加に拘泥することはない。淡白なのである。)
 雀さんたちは2百羽前後は来ていたように思う。鳩の中で私が注目しているのは例の足環の子で、私は目につくと彼(彼女?)の前にコメやらパンやらを投げている。彼だけを「えこ贔屓」しているのである。コメを投げると他の仲間が殺到して来るから彼(彼女)は揉みくちゃにされてしまうのであるが。あっそ。
 ハト類は子供に与える食餌が他の鳥と全く違うのだそうだ。彼らはオスもメスも、食堂の途中にある「そのう」というところで作られた「ピジョン・ミルク」を子供に与えているという。そう言えば、「口移し」なら私はカラスもムクドリも雀ちゃんも何度も見掛けているが、鳩の「口移し」はまだ見たことがないように思う。鳩同士が嘴を噛み合わせて争うような仕草なら何回か見たが、あれはまさか「口移し」ではないだろう。鳥たちは普通巣立つ際には体格だけは親と殆ど同じくらいにまで成長しているらしい。

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(人口)

 世界人口は既に70億人を突破しているらしい。 
 ここに日本の人口は現在1億2,700万人で、これは当分減る一方である。

(粟・アワ)
稗・ヒエ

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(カラス vs ハト&スズメ)

 この関係で言えば、鳩と雀はカラスによってただ一方的に食われるだけの関係である。鳩や雀がその代償に何かカラスから恩恵を被っているかと言えば、そんなことはまずあり得ないだろう。
 でも彼らにとって危険なカラスが来たからと言って、いつもいつも逃げ回ってばかりかと言えばそんなこともないのである。確かにカラスが「カァ!」と一声鳴いただけで付近のハトやスズメが殆どパニック状態で一斉に逃げまくることもあるが、逆に、近くにカラスが数羽来ても鳩や雀たちが平然と構えて一向に逃げ惑う素振りすら見せないことも少なくないのである。まるで彼らの間には「今は食わないぜ♪」とか「今は俺たちは大丈夫、安全だ♪」etc.とかの「鳥語」による(ボディトークも含めて)一種の「会話」が成立しているかの如くである。或る学者によれば「スズメ語」には30種の「鳴き分け」があるとのことだが、では一体、鳩やカラスはどういう「言語」を操っているのだろうか?!これは不思議だ。・・私には片や「クウクウ」片や「カアカア」鳴いているようにしか聞こえないのだが・・。

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チャンネル17.



*昨日撮った写真であるが ↑ トレイから水を飲んでいる写真ではカラスは右眼を大きく見開いて上向きにしている。ということは顔の左半面の多くは水面に没しているということになる。つまり以前引用した本に書かれていた通り、カラスは顔を傾けて水面に入れ、一旦水を口中に注ぎ込んでから顔を上に向けないと水を飲めないのである。

 それにしても、「おもいでの森」の内側には天守閣の城壁を囲む大きなお堀があるし、反対側「桃園」の外側には第二寝屋川が流れているというのに、鳥たちはそこで「水」を得ようとしないのはどういうわけだろうか。水辺に小さな「浜」でもないと堀や河では遊びにくいということだろうか。私たちの餌場を更に西へ行ったところには石造りの小さな池(砲台跡?)があるがその水は流水ではなく汚い溜り水なので利用する鳥は殆どいないということである。私たちの餌場近辺にも適当な水場が見当たらないので、鳩も雀も、カラスまでもが私たちの臨時仮設の「トレイ水場」を利用するのである。

*私は大阪市立中央図書館で『大阪城公園の生き物たち』とかいう本をパラパラ読んでみたが、そこにはカラスやハトやスズメに関する記述は全く見当たらなかった。我々が大阪城公園に行ってまず一番目につくのはカラスとハトなのだが、彼らは公園とは全く無関係な存在の如くに無視・黙殺されているのである。
cf.大阪城公園鳥だより

*今日の大阪は午後から大雨・洪水の恐れがあるという予報で、朝方の雲行きは今にも降り出しそうな雰囲気だったから、思い切って餌蒔きは中止にした。8月は殆ど休まなかったのでたまには休養をとるのもいいかと思うが、中止を決めて餌やトレイなどの7つ道具を持たず出掛けた直後空はカンカン照りになったのだから皮肉なものである。w

*さてコメ主体の給餌であるが、コメは先日1kg50円の例のくず米をまた3kg買い足した。この安いくず米には私は150円ずつ2回支払っただけなのでなんだか申し訳なくて、おまけとして私の撮った現場の写真を3枚差し上げた。店の人は写真に見とれて代金を受け取ることを忘れていた。笑。O氏はコメはコメとして鳩と雀たちに向けて草地に蒔き、「小鳥のエサ」は単独で手のひらに乗っけて「手乗り」用に使っているが、私はコメと「小鳥のエサ」をブレンドして周囲のあちこちにばら蒔いていることは以前述べた通りである。くず米よりも800g・1980円の「小鳥のエサ」の方が遥かに高い計算になる。
 このくず米であるが、コンプレッサーで弾き飛ばされ分類されているのは一種類ではなく「どれにする?」と問われて私は戸惑い「前回と同じでいい」と答えたのだが、渡されたのは「割れてはいないが小粒過ぎるくず米」2kgと「色で分類されたくず米」1kgのミックスだった。どちらも前回分けて貰った「全粒米も割れたコメも玄米も麦も、虫や虫の卵もなんでも入っているくず米」ではなかった。「色」で識別された屑米には黒い粒子が混じっていたがそれは草の実だということだった。

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*からすにごみを荒らされてお困りのときは
[2010年6月30日]
大阪市では、からすによるごみの散乱被害防止のためにからすネットを貸し出します

からすによるごみの散乱被害を防止するため、大阪市が収集するごみの持ち出し場所(概ね5世帯以上で利用されている場所)に、からすネット(防鳥ネット)を無償で貸し出します。

平成20年度は、随時受け付けますので、ご希望の方は、申請書をお住まいの地域を担当する各環境事業センターへ提出してください。

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*四日前の8/28日、到着した私が水場用にトレイや鉢皿を並べ終わっただけの段階で、早速縁に乗ってトレイの底をコツコツつつく「バカ鳩」がいた。もちろん中に水はまだ一滴も入っていないのである。
 私は思わず、
「アホか、お前は!」と叫んでしまった。w

 鳩は穀物類が好きだが、雑食性で虫なども食べる。彼らは餌場に於ける餌の争奪戦では、活気づいた小雀どもが邪魔で邪魔でしょうがないとき、策略を用いてフェイントをかけることがある。彼らは突如みんなで一斉に飛散するのである。驚いた雀たちが釣られてこれも一斉に樹上に逃げ去るや、鳩たちは間髪を入れず直ちに舞い戻って来て一気に餌場を占領してしまうのである。この場合私が改めて新規にコメを蒔かないと雀たちは容易に地面へ戻って来られない。

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